稲福卓が現れた土台の話をしよう
2021年12月5日、対Vファーレン長崎戦のピッチに稲福卓が立った。様々な「初」をもたらした彼がJリーガーになる少し前の「土台」の話を記録しておく。
才能を見出す才能
稲福卓には駿という兄がいる。駿もまた松本山雅U-18に所属していた。3バックであればどこでもこなせる、体が強くてボールもさばける現代的なCBだった。学年は3つ上。駿が卒業すると、入れ替わりで入ってきたのが卓だ。
兄とは対照的に、小柄ながらすり抜けるようなドリブルで突破し、狭いスペースでも縦にパスを入れられる中盤の選手。そんな第一印象だった。チームの中央でタクトを振るう攻撃型ボランチになっていくのだろうと漠然と思っていたが、違う可能性を見出した人物がいる。
2019年にユース監督に就任した西ヶ谷隆之である。
彼は卓を中盤の底、アンカーの位置で起用した。ボールを前線へ送る能力が高い選手のところでボールを刈り取れば、スムーズに攻撃に移行できるという発想である。そのためには、ボールを追い込む選手の位置関係が奪取後を見据えた配置となっている必要がある。
このプレー原則はポジショナルプレーという呼び名が付いている。日本語で言い換えるなら「効果的な位置でのプレー」だろうか。対戦相手も守備陣形を崩そうとあれこれやってくるから、それを防ぎつつ自分たちに有利な状況を作る。そのための方針が戦術であり戦略である。
西ヶ谷隆之が卓越していたのは、1年もしないうちに高校生にポジショナルプレーを叩き込んだ点だ。攻撃においても名前が浸透し始めた5レーンを活用し、選手が有機的に入れ替わってマークを破壊するサッカーを展開した。
結果、何年も挑戦し跳ね返されていたU-18プリンスリーグ北信越への昇格を成し遂げている。
才能を引き出す才能
稲福卓の特長はすり抜けるような突破力と述べたが、接触がありながらのボディコントロールは守備にも活きる。現役時代にDFだった西ヶ谷隆之の薫陶があったことは想像に難くない。選手の特徴を正しく理解し、将来の可能性を考慮しながら段階を踏んで成長させる。加えて、どんなに良い選手も3年でいなくなる制約があるから、個人はもちろんチーム全体のバランスも踏まえて成長過程を描くのが育成指導者の役割である。
もう一つ、育成年代には成長期という大きな転換点が存在する。高校からグンと身長が伸びる選手もいれば、逆に周囲の身長が伸びたため相対的に身長が低くなる選手もいる。成長期の前に身に付けたスキルが、伸びた手足のバランスが取れずに発揮できなくなることもある。チーム事情も含めてコンバートが必要になった時、選手にどう伝えるか。
身に付けたスキルは、その選手の努力の歴史だ。背の高い相手に競り負けないように、体の当て方を工夫して対抗してきたセンターバックがいたとして、身長が低いからサイドバックをやれとだけ言われたら納得するだろうか。するわけがない。ボールを取り切るタックルが1対1の局面が多いサイドバックで活きる、といった、前向きに取り組むための言葉がいる。
成功するかどうかは信頼関係にかかっているだろう。もちろん論理も必要なのだが、大切なのは選手のことを考えてのことだと伝えること。選手にも受け入れる準備がいる。描く将来像から逆算して今やるべきことに落とし込み、実践を積む。言葉にすれば簡単だが、行うは難し。外野から兆候を垣間見るだけの立場だから本当のところはわからないが、うまくいくケースいかないケースでの表情や空気感から伝わるものを総合すると、そういうことなのだろう。
才能を引き出す環境
成長を導くのは指導者だけの話ではない。切磋琢磨する相手が必要だ。チーム内でも、チーム外でも。松本山雅U-18は2019年まで長野県リーグ1部の所属だったから、稲福卓も高2まで公式戦は長野県で戦っていた。高校年代ではクラブと高校が混ざって戦うリーグ戦が開催されている。
一昔前、長野県高校サッカーの強豪といえば松商学園。少し時代が下って創造学園(現松本国際)だったが、近年は2017年に選手権ベスト4入りを果たした上田西、母校に戻った小松憲太が鍛えた都市大塩尻、今冬ついに選手権の切符を手にした市立長野など、群雄割拠の様相を呈している。
これはひとえに県内のサッカー熱が高まり、全体の競技レベルが底上げされたことに起因する。卓自身も中学まではアルティスタ東御(現アルティスタ浅間)という東信のクラブの下部組織で育った。県全体でレベルアップしている証左であることは理解していただけると思う。対戦相手のレベルが高ければ、求められるプレースピードや判断の質が具体的に実感できる。
今でこそ松本山雅U-18は北信越プリンスリーグに所属しているが、過去には全国水準を体感するには年2回の大会しかない時代もあった。ただ、要求水準を知る先輩が世代トップクラスに勝つための努力を重ねる姿から後輩に伝わるものがあったはずだ。長野県3部リーグ所属の時代から、どれだけ相手が強かろうが、勝つための準備をして勝つためにプレーする姿勢に変化は無い。彼らの積み重ねたものの上に今があることは忘れないようにしたい。
才能を次のステージに送り出すために
稲福卓という才能がJ2のピッチに立った以上、今後も継続的にユース出身の選手がトップチームで活躍することを期待したいところだが、ことはそう簡単でない。先に述べた戦術戦略などのノウハウが、人に依存するところが大きいからだ。松本山雅スポーツクラブ(アカデミー事業はU-18を除いてNPO法人の主幹)の理事長である青木雅晃の説明によれば、指導者間で適宜ミーティングを行い伝達を図っているそうだが、上位方針は伝わっても細かい枝葉の部分は伝えきれていないように感じる。
2020年はシーズン途中で西ヶ谷隆之がトップチームコーチへ配置転換したため臼井弘貴へスイッチ。2021年は臼井弘貴がブラウブリッツ秋田コーチに就任したため本橋卓巳へスイッチと、引き継ぎの時間をろくに取れずユース監督が交代したことは、山雅ユースにとっては望ましくない事態だった。可能性の話になるが、あと3年我慢できていれば、ポジショナルプレーを身に付けたユース選手がトップチームで躍動する未来はあった。トップチームが優先されるのは仕方ない面もあるが、後々への影響を考えると我慢して遠回りに見える道を行くのも手だったように思う。
とはいえ、後を受けた本橋卓巳は終盤持ち直して北信越プリンスリーグ3位と前年以上の成績を収めている。守備から攻撃への移行に改善の余地を残すが、西ヶ谷流をアップデートした本橋流の確立に期待したいところだ。また、サポーターズミーティングにおいてアカデミー組織体制の改編が示唆された。詳細は公式発表待ちだが、継続して才能を育て上げる枠組みとなることに期待したい。
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