トレードオフはしたくない
こんにちは。melfeeです。
子供が自分で座れるようになりました。
大きな声を出して"ほらほら、みて!" って顔して披露してくれます。
下の歯がちょろっとみえるのがかわいいです。
今年は大分県の実家に帰れていないので、親に見せに連れて帰りたいな。
はじめに
生きるうえでずっとこだわっていることがあります "トレードオフはしたくない" ということです。
"何かを得るために何かを失うという意味"でのトレードオフのことです。
うまく言語化できていなかったので、今日はそのことを書いて整理します。たぶんまとまりが悪くなると思います。
(この本から影響を受けています。)
何かを得るために何かを失うということ
何かを得るために何かを失うということは、得るものと失うもののうち。
得られるもののほうが失うものよりお得である判断をしていくことだと思います。
失うものは過去に得たもの
私の人生のうえでトレードオフの判断をしたくありません。
なぜなら、トレードオフのうちオフは過去に得た何かだと考えるからです。
なにかを得るためになにかを犠牲にする必要はない
もっと正確に表現するなら人は生きるうえで"なにかを得るためになにかを犠牲にする必要はない"と考えています。
そのやめようとしているもの。犠牲にしているものは昔得たかったなにかだったと思います。
そしてなにかを犠牲にしてまで得たいものなんてないと思っています。
私はこうありたい
私は "目の前に起こるすべてのことを良いことでも悪いことでもなんとかできるようにしたい" と考えています。
そのうえで "なにかを得るためになにかを犠牲にする" ということはなにかを犠牲にしている以上 "なんとかできていない" と考えています。
じゃあどうするか
なにかできるかを考えたうえで、どっちもできるようにしたいと考えています。その為にはいろんなやり方を知る必要があります。
やり方を知るためには 本を読んだり、勉強したり。人に聞いたり、見たり、知ったりすることを大切にしたいと考えています。
何かを犠牲にしないためにできること = 知識と体験を得ること。
本当にそのトレードオフの択は正しいのか というそもそもを図る意味でも知識は必要だと考えています。
つたえたいこと
いつも考えていることの整理として学ぶ理由は "なにかを犠牲にしない" ためにすることだとわかりました。
目の前で起きるすべてのことをなんとかできる力 をつけていきたいと思います。