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TFPってどんな場所?歴史編!

この章では、東京フェアリーテイルパレス、そしてその近辺である比奈境丘陵の歴史について見ていきましょう。

江戸時代から語られる夢物語

この東京フェアリーテイルパレスが、どこか浮世離れした雰囲気が漂うのは、どうやら遡っていくとなんと江戸時代からのようです。

東京フェアリーテイルパレスが広がるこの比奈境の地は、かつて「夢語(ゆめごと)の宿場」と呼ばれていた時代がありました。
街道が制定されて間もない頃、慣れない道に迷った人々は、伝え聞いた話には無いこの丘に突き当たりその間違いに気が付いたそうです。
元の街道からはまだ遠く離れてはいませんが、日が暮れる頃に気がついて、日のあるうちに引き返すには少し心許ないほどの距離です。少なくない人々がこの付近で宿を求めました。それを見かねた丘の下の豊谷村の村民が森の一部を切り開き、宿などを設置し、元の街道へ戻る道筋を案内しました。それが、この小さな幻の宿場町のはじまりです。
本来ならばたどり着くことのない、一晩の夢現を過ごす場所。だからこそ「夢語の宿場」と呼ばれるようになり、村民たちの暖かいもてなしが、人々の旅の思い出として強く心に残ったそうです。

バブルの転機。「比奈境おとぎ遊園」へ。

穏やかな丘陵地帯として永らくの時を経た比奈境でしたが、バブル時代を迎え大きな転機を迎えます。元々、簡易的な宿などの施設を作るために切り開かれたという土地柄、住人はわずかであり、新しい施設を作るのには適した場所でした。
そこに目をつけたのが現在の京越グループです。
京越上都線の終点、佐越駅(さえつえき)の周辺をニュータウンとして開発するのと時を同じくして、比奈境も開発計画が進みました。佐越ニュータウンへ住まう家族の来客を見込み、その途中に佇む比奈境丘陵を観光スポットとして開発することにしたのです。

そうして開かれたのが東京フェアリーテイルパレスの前身である遊園地「比奈境おとぎ遊園」でした。
地域住民やニュータウンの家族たちの意見を受け、世界各国の童話を子どもたちに知ってもらう、いわゆる「情操教育」的側面も持ち合わせた、心温まる遊園地として多くの人々に愛されていました。

特に、当時絶大な人気であったトレンディドラマ「ラブストーリーは夢の中で」のロケ地として比奈境おとぎ遊園を知った方は多いでしょう。
冬になるとドラマのワンシーンを真似して落ちた椿の花を人魚姫の噴水に浮かべる人が今も多くいらっしゃいます。
前の冬にも椿のシーズンにその様子をお見かけしましたが、水面が鮮やかな花弁で埋め尽くされた噴水の姿はいつにも増して美しかったです。
このドラマ「ラブストーリーは夢の中で」は園外施設「比奈境郷土資料館」にてご覧いただけます。東京フェアリーテイルパレス入場パスポートの提示で割引がございますのでご活用ください。

また、現在も女優、ラジオDJとして幅広く活躍されていらっしゃる倉科恵里佳さんがアイドルとして芸能界デビューしたのはこの比奈境おとぎ遊園のグリーンステージ(現フォレストアイルシアター)です。
実は倉科さんのアイドル時代の愛称、「三つ編みのプリンセス クラッシー」の由来は比奈境おとぎ遊園にあったことはご存知でしょうか?
当時15歳の倉科さんがおとぎ話をテーマにしたこの遊園地を意識して、「お姫様に近づくために髪を編んで来ました!」という言葉がお茶の間で話題となり、「三つ編みのプリンセス クラッシー」という愛称がついたのです。
倉科さんはリニューアル後の東京フェアリーテイルパレスとも関わりが深く、現在ショーやパレードの開催を知らせる特別なアナウンスは倉科さんに担当して頂いている他、ラジオ番組「DJ CLASSYのGood morning RADIO」のスポンサーに東京フェアリーテイルパレスも名を連ねております。

リニューアル。そして今の姿へ。

そんな多くの方に親しまれた比奈境おとぎ遊園ですが、オープン当時と比べ、インターネットなどの普及により子どもたちが知識を得る手段が大きく変わったことや、佐越ニュータウンの多くの子どもたちが成人を迎えたことを鑑みて、「子どもたちが世界各国の童話を知るきっかけになる」という役目は終えたと判断しました。
そうして、比奈境全域を含めたリニューアル計画が発足。比奈境おとぎ遊園としての営業を休止しました。

コンセプトは、
「子供にも、大人にも、きらめく魔法のような時間を」
「現実とは離れた、夢のような世界を」

この「魔法と夢の、童話の国」をテーマに、パーク内のエリア、内容も一新。
そして比奈境丘陵の歴史も大切にすることをモットーに、パーク周辺の自然を守りつつ整備を進めていきました。
この「地域との繋がり」を強めるため、地域住民の意見を元に、比奈境丘陵の愛称は「杜の島」と名付けられます。
この名前を元に、旧比奈境丘陵線は「京越グリーンアイルライン」へ改称、さらに丘陵の坂道に強いゴムタイヤを使った新交通システムを採用したことで、注目を浴びました。

そして比奈境おとぎ遊園の名も、より、この現代の夢世界にふさわしいものへと一新し、現在の「東京フェアリーテイルパレス」へとリニューアルを行いました。

それでは次の章にて少し私のご紹介をさせて頂き、締めくくりとさせていただきましょう!

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