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モラトリアム

「大学生活=モラトリアム」と言われることがあります。モラトリアムは、青年がアイデンティティ形成をするまでに社会が猶予する期間のことを意味します。


最近は、大人になるまでの猶予期間であるモラトリアムが延びて、子供が大人になる時期が後ろになっているらしいです。中学を出てからすぐ働く、高校を出てからすぐ働くのではなく、高校生の大学進学率は約6割になり、大学生になる人がとても多くなりました。


今の若者たち、特に都会の若者たちは、結婚する年齢も遅ければ、一人前になるとか、社会人としての自覚を持つという感覚も遅いといわれています。いつの時代にもよくあるただの若者叩きかと思いきや、これは本当のことみたいです。

今は30代で結婚するのが普通だし、大転職時代になっているので、転職も当たり前になってきて、一生の仕事を決めるのが30代というのも全然普通になってきました。だから、大学生・20代の社会人が自由にたくさん遊んでいても、それほど問題はないみたいです。でも、実際は周りから圧力をかけられることもあるし、焦らせようとしてきますよね…。



モラトリアムが延びた要因には、自分の中で一人前だと認定する内的な要因もあれば、文化が一人前だと認定する、社会が「あなたは一人前だ」と認定する外的な要因もあるので、そういう意味でも大人になる年齢というのが遅れているのもあるそうです。

情報量の蓄積や技術の進歩により、ある職業で一人前になるために求められる専門性や複雑なものを抱える力がどんどん上がっています。社会自体も複雑になっているからより専門性が求められるし、その専門性を極めるのもより難しくなっています。「常識」とされているレベル・求められる能力までどんどん上がっています。求められるものがそれほど多くなったから、それにしたがって一人前になる年齢も遅れているそうです。


このモラトリアムの間に、そんなにたくさん遊んでいていいのか、遊んでいたら自分は一人前になれないんじゃないかって、不安に思う人はいると思います。でも、遊びの中でしか覚えられないことはきっとたくさんあります。ただの遊びの中でしか覚えられないこともあるので、遊びほうけるのも悪くはなく、むしろいいことだと考えた方がいいのかもしれません。

一見遊んでいるだけとか、何か無駄なことをしているように見えても、その中で育っているものもたくさんあるはずなんです。子供には何のために遊ばせているのか?、遊ぶことで得られるものは単純な楽しさや満足だけではないはず、成長もあるはずです。

だから、別に遊ぶことに対して罪悪感を抱いたり、不安に思ったりして、気にする必要は多分あまりないんですよね。子供を含め、若者は存分に遊んでいてもいいんです。自分がやりたいことで遊んでいる時間が無駄なわけがありません。そういうふうに楽観的に捉えられるといいかな…っと思いました。


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