人嫌い・人間不信
人が気持ち悪い
たまに、ふと人が気持ち悪く感じられます。別に何も言われていないのに、なぜか人に対して嫌悪感を抱いてしまうことがあります。人間関係は複雑なもので、他人との交流で喜びが得られることもあれば、時にはストレスや不快感が生じることもあるかと思います。相手にとっては何気ないことであっても、よく分からないけど、自分はすべてが気持ち悪いとなんとなく感じてしまいます…。
自分のコンディションが良くないから、そう感じてしまうだけなんでしょうかね…。人のことが信じられないし、気持ち悪いとか関わりたくないって、結局いつもそう思っているような気がします。でも、私は自分の調子の良し悪しに関わらず、人にはあまり会いたくないし、話したくもないです。
昔からそうだったと思います。他人をあまり好きになれなくて、一人でいるのが一番楽でした。人前であってもなくても、人と話すというだけで、実はとてつもない負担が自分にはのしかかっているのかな…って、思いました。変に緊張してしまうことが多いし、気楽に話すことができないので、はなから人と会いたくありません…。
何も奪わないで
私は人から与えられたことよりも奪われたことが多かったように思えます。エネルギーとか時間とかを奪われているみたいで、人と関わるのがなんか嫌なんです。被害者意識を持ってしまっているだけかもしれないけど、ネガティブになっているときはいつもそう感じます。なんでそういうふうなの?って、周りの人に対して、些細なことでも何かしらこじつけようとして不満に思ってしまいます。そもそも自分が何を不満に思っているのかも分からないけど、周りの人が悪く見えていくばかりです…。
平和に暮らせているはずなのに、心はどんどん疲れていきます。人と話し終わった後の疲労がすごくて、一人になったときにその反動の波が大きく来て苦しいなって思います。自分から人に近づくのも嫌だし、人に近づかれるのも嫌です。私は本当に人付き合いが苦手な人間なんだな…って、実感することが多いです。
世間の風潮
人嫌いとか、人間不信とか、人付き合いが苦手なことに対して克服が必要だとする考え方が世の中には蔓延しているような気がします。それは、人付き合いがよい、もしくは社交的である方が優れているという価値観があるからなのかもしれませんね。しかし、なぜ社交的である方が良しとされるんでしょうかね…。
社交的で人付き合いが得意であれば、人脈が広がるし、個人では知り得ない情報を手に入れることはできると思います。なんとなく社交的である方が特典は多いように見えるけど、それは社交的であることが絶対的に優れているとか、良しとするには不十分であるようにも感じられます。
むしろ良し悪しの価値観なんて時代や社会によっても異なってくるはずだから、脆弱なものだともいえるような気がします。だからこそ、まずは「人付き合いが苦手=良くない」という価値観から、私はしっかり離れた方がいいのかなって思いました。今まで通り人付き合いを極限まで少なくしていても、今の私が失うものなんて特にないから、別に人嫌いとか人間不信とかを克服なんかしなくてもいいかなって思っています。
適当が一番
人と一緒にいるときよりも一人でいる時の方が逆に寂しくなくていいなあ…とよく感じます。私は物理的に一人という状態では、孤独はあんまり感じなくて、むしろ大勢の中で一人になったときや数人でいることによって孤独というものを感じるみたいです。人付き合いなんて最低限でしかしてないけど、ずっとそのままでいい気がします。変に人と仲良くしても、付け込まれるか時間を奪われるだけだし、もう面倒くさいんですよね…。
人付き合いをやめたといっても、誰とも話さないわけではないし、これまで話したことがなかったような人と話す機会も意外とまだまだあります。そんな流動的な人間との関わりの中で、表面的に人のことを知るくらいが今の私には十分だと思います。人のことを嫌だなって思うことが多くても、それは私の落ち度ではなく、そういう性格なだけだから、あまり気にしない方がいいのかもしれません。