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悲劇のヒロイン症候群

人から聞いた話をもとに、私が適当に脚色してみました。
悲劇のヒロイン症候群である友人のお話です。


私には、悩んでばかりで、悲劇のヒロイン症候群である友人がいる。今日は、その友人と先輩2人で、溜まり場で一緒にお昼を過ごした。友人は、期末の課題に悪戦苦闘していて、何だか悩み苦しんでいた様子だった。

自分にとっては成績が良いことだけが取り柄だから、単位を絶対に落としたくないのだという。彼女は困難や苦しみを感じる状況に自ら飛び込んでいくような気性の持ち主で、可哀想になった自分に酔っているように見える気もするが、いつものことだと思っていた。

今日一緒に居た先輩たちは、単位を落とす常習犯であり、留年の瀬戸際に立っているらしいが、友人に対しては「よく頑張るねー」という反応をしていた。でも、友人の悶える姿が影響していたからか、全体の雰囲気はギクシャクしていて居心地が悪かった。私はみんなで楽しく過ごしたい気持ちがあるのに、悩むのが趣味とも言える友人がいると、なかなかそうはいかない。一人の機嫌が良くないだけで、周りが気を遣わなければいけないというのは、グループの面倒くさいところだ。

私の友人は、自分のことを卑下したり、悩んでいる姿をよく見せている。自分のことを下げて、周りのことを上げようとしているけど、こじつけの言葉であるようにも聞こえてしまう。「自分はダメだけど、先輩たちは単位を落としていても、他にやりたいことがあってそれをやっているのだからいいのだ」と言っていた。自分のことは簡単に否定するけど、先輩のことは庇おうとしていた。そのことに、私は得体の知れない気持ち悪さを覚えた。

彼女には自分のことを卑下しないでほしい。そんなに卑下されると、友人の私も彼女と一緒にいることを否定されているような気分になってくる。こっちも気分が悪くなる。

彼女の言葉の節々からは、「そんなことないよ」という言葉待ちだったり、心配されたかったり、構ってほしかったりするように感じられることがある。何も意図していないにしては違和感があるし、なんだかモヤモヤしてくる。

不幸自慢をしているとまではいかないけど、そんな彼女の姿を見ていると、時々イライラする。可哀想な自分に注目されたいとか、目立ちたいっていう、自己中心的な部分が垣間見えているような感じがする。

彼女は自分に厳しくてとても頑張り屋さんで、優しいし、自分が悩んでばかりで、悲劇のヒロイン症候群であることも認識はしているみたい。だけど、私は彼女と一緒に居ると、不満が募ったり、イライラしてしまうことがある。私は心が狭いのかなあ…って、自分に対して思ったりもする。

彼女の嫌な部分を私はあまり受け入れられていないかもいれない…。「嫌な部分しか見えなくなったら終わり」って、聞いたことがあるんだよね。彼女の話をしていたら、なんかその言葉を思い出しちゃった。そうならないといいんだけど…。(終わり)


余談

これは全然関係ない話なんだけど、もしも友人に「私バカなんだよねー」と言われたら、あなたは何て返す?


実は「私バカなんだよねー」には、「そんなことないよ。バカじゃないよ。」という答えを求めている気持ち悪さが潜んでいる。自分はバカじゃないってことをあなたを使って確かめようとしている。そして、あなたはその友人から密かに試されているのかもしれない。自分の求めている答えをくれるのか否か…。

これに「そうだね。バカだよね。」と返せる人は、すごいと思う。猛者じゃない?だって、そんなこと言ったら、こっちが悪者になりそうだもん…。自分で自分のことをバカって言うくせに、いざ人から言われると、被害者ぶる人がいる。特にバカを自称する人はそんな感じがする。私はそういう人が嫌い。本当のバカだと思う。


もう一個、もしも「私太っちゃったんだよねー」と付き合ってる彼女に言われたら、何て返すのが正解だと思う?

これはね、「全然太ってないよ。そのままでもすごくかわいいし、綺麗だよ。」とか、「あんまりそうは見えないけど…。一緒にダイエット頑張る?」っていう言葉が正解だと私は思う。あくまでも私の想像だけど。でも、何て返しても怒られそうな気もする。理不尽すぎるね…。

「確かに太ったね」とか「じゃあ痩せたら?」って返したら、問答無用でヤバそう(笑)。これも、さっきと似たような話で結局は、太ってしまった自分のことを肯定してほしいだけなんだと思う。よく言われるように、女の人は「察してほしい」人が多いのかなあ…。私は察していても、あえて逆の無神経な言葉をかけたくなることもあるけど、あとが怖いのでそんなことはしない(笑)。


一部の女の人って、本当に面倒くさい生き物だと思います。私も十分面倒くさい生き物ですけどね。

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