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性格の表裏

中学生の時からだと思います。そのときから、私の表裏の性格がはっきりと分かれていきました。


1-1. 表の性格

表向きの性格は、私が思う社会的価値のある人間を演じるものです。私のことを必要としてもらえる気がして、社会的価値があるような人に近づけるように、昔はものすごく努力していました。自分の存在価値や強みがわからなかったから、というのもあったかもしれません。自分が人よりも得意だったことが勉強くらいしかなかったから、テストの点や順位にこだわるようになっていきました。結果に一喜一憂する状態が続き、いつも不安定な精神でした。それでも、自分ができることは勉強だけだと思い込んで、勉強に固執していた時期がありました。周りの人に勉強を教えたこともたくさんありました。勉強ができる自分は存在価値があるのではないかと思っていました。

しかし、その結果、私が手にしたものは孤独でした。すごく頑張っていたはずなのに、私が欲しいものは得られませんでした。私は、周りから真の意味では必要とされませんでした。ただ都合のいい存在として扱われていただけで、本当に私のことを必要としてくれた人はいなかったと思います。私が欲しい人間関係は何だったのか、当時の私が何を求めていたのかは、よく思い出せません。多分、私は何か努力の方向を間違えてしまっていたのだと思いますが、過去の失敗を取り返すことはもうできないから、どうしようもありません。

1-2. 裏の性格

裏向きの性格は、本来備わっているはずのものがたくさん欠如している欠陥人間の私です。私は元々、まったく優秀ではなく、物静かで、引っ込み思案で、人に対して恐怖心を抱いている、社会不適合な人間です。

この世界に本来の私を閉じ込めておくことで、周りから迫害されることがないように守ってきたんだと思います。人前では決して言うことができないようなひどいことを考えていても、それを知っているのは私だけだし、誰にも知られることがないから、私にとって唯一である、私だけの世界です。この内向きの世界、すなわち孤独でいられるときが、私が思う社会的価値がある人間を演じる必要が極限までなくなるので、一番心が落ち着きます。

1-3. 表裏のギャップ

現実世界を生きている時、私はこの2つの世界を行き来しています。2つの世界の差が激しいから、いつも混乱するし、疲れます。どちらがどちらの世界の自分かわからなくなる時があります。内向きの世界に存在している自分を守るために、外向きの世界の自分を今でも無意識に演じてしまいます。みんなに好かれやすいのは、外向きの私です。経験則的にちゃんとわかっています。結局、多くの人が暗くて物静かな私のことを好いてくれないんです。

私は他人の世話をするよりも自分の世話をすることの方がずっと大事であるとわかっています。役に立つためにいろんなことを人に尽くしても、時が経つにつれて感謝はされなくなり、より多くのことを求められるようになります。だんだん都合よく利用されるようになり、相手から見て私はどうでもいい人に変貌していきます。最初は人の役に立つことで、感謝をされてうれしいはずなのに、相手に応えるのに次第に苦しくなって、人間関係自体を終わらせたくなります。ずっと一人の世界に閉じこもりたくなります。



2-1. 私の話を聞いてくれない…

今まで私は人の悩みや愚痴を聞く側になることが多かったし、みんな私のおかしな話は聞きたくないはずです。私の変わった価値観はなかなか理解してもらえないです。でも、別に理解を求めているというわけではありません。ただ話を聞いてもらえるだけでも十分なのに、みんな私のつまらない話は聞いてくれなかった覚えがあります。いつの間にかみんなが私から離れていって、私はよく仲間外れにされて一人になっていました。

実際に、人に私の本音を聞いてもらえたとしても多分ドン引きされて、ゴミを見るような目で救いようがない私のことを見られるんじゃないかな…って思っています。私の目に映るみんなは、普通の人みたいでいいなあ…と羨んでしまいます。私にとっての普通は、皆にとっての普通と大きく違うということを知る度に傷つきます。普通でいられたらよかったのにな…って、普通を求めて普通な人間を装うのは苦しいです。

2-2. 道化を演じた過去

昔は一人になりたくなくて、道化を演じていました。とりあえず、何か面白いことを言って周りの人の気を引いて、機嫌をとっておけば、私はひとりぼっちになることはありませんでした。でも、中学生のときに、三人グループで仲間外れになることが多くなってから、私は必要ないんだ…と感じるようになりました。それから、一人でいることが多くなった気がします。

私は、友達が興味のありそうな話題を頭をフル回転させて考えて、相手の話を絶対に否定せず、必ず共感するようにしていました。でも、私の興味がありそうな話を振ってくれて、私の話に共感してくれる人はほとんどいませんでした。友達には私よりも仲がいい人が必ずいて、私はいつもその子たちにとっての1番ではなく、?番目でした。その子にとって1番でなくても、ちゃんと友達だと思ってもらえていると、当時の私は信じていました。

2-3. 昔の理想の自分

昔の私は、「真面目で、頭が良くて、優しくて、面白くて、努力家である」という理想の自分に近づきたかったんです。だから、私はそんな理想の自分を体現できるように、すべての自分を演じていました。周りが私に求めていることにすべて応えられるように努力していました。しかし、私のそばにいてくれる人は消えていきました。私が自分から離れました。私のことを必要としてもらえなかったからです。初めて私のことを「いないもの」として、扱われたときに、とても疎外感を覚えました。

孤独感と疎外感。
個人的には疎外感のほうが辛いと感じます。周りに人はたくさんいる、すぐ隣にもたくさん人がいる…はずなのに、どうしてこんなに寂しいの?、どうして誰も私のことをちゃんと見てはくれないんだろう?、どうして私の話をちゃんと聞いてくれる人はいないんだろう?と傷ついていました。

もうちゃんと覚えてないけど、その時からです。すべてが面倒くさくなりました。ずっと一人でいいや…と今も思っています。人付き合いは疲れます。昔から、人と一緒に居ても、得られるはずの楽しさや安心感などを得ることが全然できませんでした。私はいつも頑張って周りに合わせて、周りが私に何を求めているのかを汲み取って、理想の完璧な自分になれるように、道化師になっていました。私はそんな理想の、完璧に近い自分に対する見返りを周りに求めていました。しかし、私の欲しい言葉をかけてくれる人も、私のことを大事に思ってくれる人もいませんでした。いつの間にかすべてを諦めるようになっていました。



3. 今の私

今の私は必要がない限り、全く口を開かずに「とても静かな人」として生きています。だから、大学の授業で人と喋ると、「大人しそうに見えて意外とよく喋るんだね」と毎回のように言われていました。「大人しそうで、人見知りをしそうな雰囲気である」と周りからは思われているはずです。もう私には、道化を演じる気力も元気も残っていないはずなのに、昔の癖がずっと抜けきれていません。いつも無理して話しています。人と一緒にいたくないし、関わりたくないし、話したくないといつも思っています。私は自分も含めて、人が嫌いです。

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