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ホメオスタシスと止まない雨☔

ホメオスタシス(恒常性)

心理学でいうホメオスタシスは、変化を拒んで同じ状態でいようする、一定の安定を求める心理状態のことを指します。不確実性や未知への恐怖により、人は安定した環境を好み、変化によって生じるストレスや不安を避けようとします。

できることなら、私も変化がなく安定した環境で過ごしたいものです…。毎日同じことを繰り返す日々はマンネリ化していくだけだから、ある程度の時間が経ったら、自然と違うことをやりたくなる気持ちが芽生えるはずです。同じことを繰り返す毎日に飽きたら違うことに挑戦してみる、くらいの気軽な心持ちが私にはちょうどいいような気がします。

毎日やることが違う日々に疲れます。私がやりたいと思うことではない気もするし、義務感で作業をこなすだけになっているからなのかもしれません。自分の好き嫌いに関わらず、色んなことができるのはいいのかもしれないけど、私は同時に複数のことをこなすのは少し苦手かな…と気づきました。自分の中でのホメオスタシスにもう少し従ってもいいんじゃないかな…とも思いますね。

日常に変化を取り入れることで、新しいものを知ることができるし、自分の世界も広がります。でも同時に、それは自分の元々持っている世界に少々の変化が起こることでもあります。その変化がいいものであるのか、悪いものであるのかは、変化を取り入れる前の自分ではわかりません。だから、自分の世界を守りたい、別に変わらなくてもいい、という自己防衛の精神で、自分から変化を拒もうとする心理状態になるのでしょうか。

止まない雨☔

「止まない雨はない」という言葉があります。現状が厳しい状態で辛くて苦しくても、いつかきっと雨は降り止んで、晴れた空に太陽が姿を見せるというように考えられています。でも、私はこの言葉をあまり信じていません。現実的には、「止まない雨もある」気がしています。

何か悲しい出来事があって感情的に落ち込んでいるだけであれば、それは時間が解決してくれる場合が多いです。生物の生体的な恒常性機能メカニズムであるホメオスタシスによって、身体だけでなく、心の状態もいずれはフラットな状態に回復します。時間の経過によって、元気になれることもたくさんあるはずです。

時間の経過を待つだけなのは、一種の思考停止状態であるようにも感じられます。「止まない雨はない」というのは、問題の根本的な解決を諦めようとする言葉でもある、と個人的に思います。頑張ってもどうにもならない…と思考や行動を停止させてしまって、完全に受け身の姿勢になるのは、ちょっと違うような気もするにはします。時間を使ってゆっくり休んでから、何か自分からアクションを起こしたほうがいいのかも…。

止まない雨に降り続けられているときに、傘を差しだして笑ってくれる人がいたらいいなあ…とか、傘を持ってていなくても、そばにいて一緒に濡れてくれる人がいてくれたらな…って少し思うけど、それはただの理想論です。現実は無慈悲だから、そんな人が現れることはほぼありません。だから、止まない雨に濡れないようにするために、自分で傘をさす必要が生じると思います。

雨をしのぐことができずに、ずっと長い間雨に打たれたままの人生か、雨をしのげる傘を手に入れた人生とでは、後者の方がいいと思います。ずっと風邪を引いてしまうかもしれないのは、しんどいと思うんです。もし傘が手に入らないうちに雨が上がってしまったとしても、傘を手に入れようと努力したか、雨に打たれるままになっていたかでは、過ごした時間への思いや自分に対する評価が変わってくるのではないでしょうか…。

変化が怖い

私は、本心では変化をあまり望んでいません。不確実性や未知の要素があるものによって、自分が傷つくのは嫌だな…って、思っています。でも、変わらないといけない気がして、自分をいろいろと追い詰めてしまいます。どう変わりたいのかが、あまり明確になっていないのが問題だと思います。具体的にどうなりたい、どうしたい、というのをはっきりさせないと、ちゃんと前には進めない気がします…。

変化を恐れすぎずに、どんなときにもただ降られるにまかせて雨に濡れる人生にはならないようにするのが大事なのかもしれませんね。選択肢は無数に広がっているし、分岐点がたくさんあるのが人生です。どうすれば自分で傘を手に入れられるのか、傘を手に入れた後は、止まない雨に打たれている他の人に自分が手に入れた傘を差し出すのか、色んなことを考えてみることができますね。

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