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映画『哀れなるものたち』

5月は書くこと読むことについてなんとも表現できない1か月でした(まだ終わってないけど)

ということで今日観た映画の感想を。

『哀れなるものたち』

映画.comの説明によると
「女王陛下のお気に入り」のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化。2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最高賞の金獅子賞を受賞。
不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。
「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は……

という感じです。


作品って出会うべきタイミングが存在するみたいです、まぁ、よく言われますよね
いまとても開放感を味わっています
3月であれば感じなかったかもしれないけど
いまは経験したさまざまな不条理も肯定できる


観始めてすぐはなにを表現したいのかわからなかったけれど、それは、いつも予備知識なしで観るからで
今回は特にストーリーに追いつくまで少し時間がかかりました


画面に映し出される、激しさ、が危険な種類だと知っている自分にとって
ベラ、彼女の言動は心地いいものとは思えなかったし、それは彼女が脳を損傷していると設定されていたとしても、そう
だからグロテスクなシーン含めそれぞれ
これは本当に必要なシーンなのか?って分からないところがありました
それが前半

でも彼女を理解、この映画の世界を補完するのに必要なものだと思い始めます

視たことのない奇異なものを受け入れるのって
揺るがない確立した感受性が必要なのかもしれないと思いました
感受性が不安定な私は
同時に不安定な常識を揺さぶられて終始ハラハラしてました

彼女の周りにいる男性たち(彼女=子供、対比して大人と解釈)は
必要であること、ないこと、をそれぞれ自分の経験上の目線や思いで限定して決めていて、他の視点を取り入れようとしない、それが顕著です
=後半の「人は皆“我が船“の船長です」のセリフがそれ

映画では極端に表現されているから受け入れ難く感じるけれど、現実においては普通にあること
みんなが“我が船“だけの船長
すべてそれで説明がつく
表出させるか、脳内で処理するか違っても
どちらにしたって思考上では同じこと


そんなこと人間がしていいことじゃないよって概念をすこしだけ捨てて受け入れると途端に
彼女の自由さに憧れ始める

彼女は成長するにつれ世の中の残酷さも覚えていく、その時々の純粋さが胸にくる

「お金はそれ自体が病なのよ」ってほんとその通りって思ったし


彼女の周りの男性たちは自分だけに依存する絶対的な存在を作り上げたかったのかな、それぞれの方法で、とも思う
そんなの無理な話で
彼女はちゃんと意思を表現する


ラストはシニカルだから、それが過ぎるから
声だして笑いました


それにしてもネタバレしないように書くって
私レベルではただの意味不明な文章になります
少しずつ修正していきます

……許してください

ちなみにR18です、性描写多いです

映画にはもちろんポップコーン🍿

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