そして、給食のおばちゃんにたどり着く
私は定員19名の小さな保育所の調理室へ通う、給食のおばちゃんだ。おばちゃんなりに紆余曲折を経て、ここへたどり着いた。
19歳の時、洋食店でウェイトレスとして働き始めた。人見知りで接客業なんてとんでもないと思っていたのだが、「美味しい賄いつき」という求人誌の一言に引き寄せられたのである。
美味しいごはんをタダで食べたいという願いは、毎日叶った。
それに幸運にも、そこは毎日行列ができるほどの繁盛店で、毎日押し寄せてくるようなお客さんたちと接していくうちに、だんだんと人と話すことがあまり怖くなくなっていったのだ。人見知りとは、接した人の数の分だけ、克服していけるものなのかもしれない。
それに、何よりも食べることが好きな私だ。
お客さんたちが美味しそうに食事している場所は、幸せな空気が満ちていて、こっちまで嬉しくなるよ、という瞬間が何度もあった。
上司にはよく動けると重宝がられたし、お客さんには感じの良さを褒められた。生まれて初めて、自分に備わっているものが仕事で生かされている、そう思った。私は19歳で、天職と出会ったのである。
だけど、天職が一生続けられる仕事だとは限らないみたいだ。
結婚して子供が生まれてから再び働き始めたのだが、やはり選んだのは飲食店だった。賄が美味しいに違いないと、嗅覚が選んだのである。
やっぱり私の嗅覚は正しく、賄いが美味しいその店は、これまた繁盛店だった。
平日昼間だけのパート勤務のつもりが、人が足りないと言われれば土日も出たし、急に学生バイトが辞めた時には夜の部に出勤することもあった。
仕事は忙しかったけど、何よりもやっばり、接客の仕事が好きだった。店には活気があって、職場としての雰囲気も良くて、どこにでもあるようなイザコザはありつつも、他の従業員とも仲良くやれていた。だから、ずっとここで働いていくのだと思っていた。
けれど、小さな子供を抱えた主婦には体力的にキャパオーバーだった。無理をして身体を壊し、辞めざるを得なくなってしまったのだ。
今でも、カフェで素敵な店員を見れば清々しい気持ちになるし、また働きたくなってしまう。
でも今、私は保育所で給食調理員として給食を作っている。
私が働く保育所は、日曜日も祝日も夜間も閉まっているから出勤しなくてもいい。飲食店とは違う。体力的に、無理をしなくてもこなせるのである。
仕事は作ることへと変わったが、大好きな食べることに関わることができている。それに、小さな保育所だから子供との距離が近く、子供たちがコロコロと遊ぶ声が聞こえてくる。職場に小さな子供がいるというのはものすごいパワーで、それでいて癒やしだ。覚えたての私の名前を初めて呼んでくれたとき、その日の疲れが全て吹っ飛んだ。
ただ、一つ間違えれば命に関わる責任の大きな仕事である。辞めたくなることもある。でもその度に、食事作りや子育ての経験という今の私が持っているものを生かせる、こんな仕事はないんじゃないかと、思うのである。
給食のおばちゃん、レイちゃんが恐る恐る苦手な野菜を口に入れた瞬間、あれ美味しいかもっていう顔をしたのを見逃さなかったよ。
ここにも、美味しそうな顔があふれている。
天職とは、2度も巡り会えるものなのかと、そう思った。