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「パワハラ」について考えさせられたよい機会のお話
昨年の衆院選で1議席を獲得された某政党のボードメンバーの方のお一人の、
過去の月刊誌対談でのコメントに惹きつけられました。
(前略)
上司が叱責していたAさん本人は何も思っていないのに、傍にいたBさんが聞いて苦痛を感じたらパワハラと認定されるそうです。しかも通報の窓口が三つあり、共産主義国の密告制度かと言いたくなりますね。
(後略)
上のお話、
苦痛を感じたBさんの詳細がわからない点はなんとも言えません。
しかしおそらくはAさんへの叱責そのものは「パワハラ的中身」
だったのでしょう。
でなければパワハラと認定されるわけはありません。
否、もしかしたら叱責の事実は実際なく、単なる
「パワハラ認定のガイドライン」
であるだけの可能性もあります。
ただ、
いずれにしてもわたくし個人の見解はこうです⤵
もし『本人からの訴え』だけが
『パワハラ認定の拠り所』であるならば、
日本からパワハラは無くならない。
なぜなら受けた本人はたとえ立腹しても、或いは落胆しても、
受けた発言が『パワハラ』だと立証する、及び訴える自信はほとんどないのが実状だからである。
多くの日本人は、
「悪いのは『叱責される事実がある自分』なのだから、
ここは甘んじて受け入れるしかない」
と思ってしまうもの。
また、そもそも「パワハラ」と感じていない可能性もある。
それでも内容が「パワハラ」であるならば、
もちろんそれは看過できない。
⤴以上です。
わたくしは国や社会がどうであろうと、
「どう見てもパワハラである発言、行為」
を他者が受けているのを見た場合は、
基本的には即迅速になんらかの行動は取ります。
そうしないとパワハラは無くならないからです。
しかし、わたくし自身としては残念ではありますが、
先の(引用)コメントの方が現在の趨勢なのでしょう。
ただ失礼を承知で言わせてもらえば、
「通報の窓口が三つある」
ことに疑義を呈するところはどうも…
ここでは伏せていますが、
先のコメントで挙げた企業は、
通報窓口が複数あってもおかしくない業界なのであります。
まぁなにはともあれ、
パワハラがなくなってくれれば何よりであるところが大前提で、
そうなってくれればどんなコメントであろうが出来事であろうが憂うことはありません♬