「萱野長知」から平和を考える
自民党総裁選が終わり、岸田文雄氏が「第100代首相」に指名されることとなりそうです。
今回の総裁選の候補者四人はそれぞれの主張を持って戦って来たわけですが、こういう時は過去の歴史を鑑みての「靖国神社参拝」に対するスタンスもよく問われます。
「首相になっても(堂々と⁈)参拝する」とおっしゃっていた方もたしかいましたよね⁈
私自身は、「これまでのすべての出来事が積み重なって今の人類は『偶然生かされている』」という考えです。
未だ靖国参拝は果たしていないものの、これまで生きてきた人たちへの「分け隔てない感謝の意」を表したい立場からは参拝への抵抗はありません。
ところで先日BS放送で、犬養毅の生涯を追う番組を観ました。
そこで初めて、「萱野長知(かやのながとも 1873〜1947)」という人物を知ることとなりました。
これまでの私にとっては「話せばわかる」のイメージしかない犬養です。
実際の彼はその生涯の大半を「無骨な野党議員」として生き、「戦争」や「侵略」をあくまでも防ごうとした姿勢が後の「五一五事件」につながっていくわけです。
ちなみに犬養毅については、彼を研究する第一人者である堀川惠子さんが「深掘り」してくれています⤵︎
「なぜ犬養毅は"話せばわかる"と言ったのか たった一人で戦争を止めようとした #プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/28603 」
おすすめです。
さて、先に名を出した萱野長知ですが、彼は満州事変の打開を図ろうと血眼な犬養の命を受け、大陸に渡って直接交渉を行った人であります。
犬養も萱野も、「辛亥革命」を主導した孫文と造詣が深く、太いパイプが大陸とあったのでしょう。
その進捗状況の書簡は犬養あてに送られていたのでありますが、今でいう「抵抗勢力」の妨害を受け犬養には届かず、残念ながら戦争への道筋を断つことが成らなかった一因となったわけです。
このような背景を踏まえますと、日本国内でも戦争や侵略を阻止しようとした流れが間違いなくあったわけです。
それにもかかわらず、日本人という身内から「平和への道を阻止」されてしまった歴史も含めて靖国神社に祀られていると、人によっては考えられなくもないのでしょうか?
海外に目を転じても、日本史のそういった背景は広く知られているはずです。
冒頭で述べた私自身の参拝への考えは今のところ毛頭変えるつもりはありませんが、同時にところ変われば様々な考え、思惑があることも忘れたくありません。
今回は、タイトルで掲げた萱野長知のエピソードが印象に残ったことから綴らせてもらいました。
私は小学校時代に「渡辺崋山」に強烈なインパクトを感じて以来の歴史好きですが、日本では歴史に絞って深掘りする人ってさほど多くはないと思いますので、その分私の興味は「誰?」「いつ?」に限らず止まるところを知りません♪
では
#萱野長知 #犬養毅 #孫文 #渡辺崋山