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「アレかコレか」ではなく...「大河の一滴」(五木寛之)に込められた思い
五木寛之氏の著書は何十年も前に複数読んでいるが、恥ずかしながらほとんど内容は覚えていない。
印象と言えば、親愛をこめてであるが「偏屈なおじさん」と思ったくらい。
ただ今回、「『大河の一滴』くらいは読んでおきたい」と思ったことから、また例によって「耳読」で聴いた次第である。
https://www.gentosha.co.jp/book/b2535.html
先のタイトルにも少し添えたが、
「『アレかコレか』ではなく『アレもコレも』で良いのでは?」
いう前半部での問いかけが全編を通じて響いてくる。
後半部に、
「免疫の働きは異物の侵入を防ぐだけでなく、異物と共存する側面もある」
といった内容のくだりがある。
「世間の扱い上は」長期化している現在のコロナ禍なんぞ、五木氏にとっては、
「ホレ見たことか」といった感じではないだろうか?
この著書全般を通してわかる五木氏の感覚では、新型コロナウィルス一連の社会への影響は、おそらくは至極当然の成り行きであるだろう。
私自身も今これからは、
「アレかコレか」の「二者択一」でなく、
「アレもコレも」の「共存共栄」をベースに生きていく決心がついた。
勿論、場面場面では
「譲れない一線」があるが、それも個々人各々の判断、考えであるので、広義にとらえれば、
「アレもコレも(共存共栄)」となるのである。
その他、平壌で終戦を迎えて以降のエピソードでは、旧ソ連(現ロシア)の多面的な側面についても語っている。
残念ながらその部分の考察・深読みが今の僕には出来かねるが、おそらく現在のロシアについてもあまり驚く事態ではないのかもしれない。
あくまでも私の勘であるが...
残る人生の多くを「歴史探究」に充てたい僕にとって、それを長年深く探求し続けている五木氏の指摘は嬉しく、かつ励みになるものである。
あらゆる科学技術etcの劇的な進歩、進展の恩恵は、
「最低限の『時短』と『生産性向上』」程度にとどめたい。
そして、ひとりの人間、社会人としての根幹については、これまでの人類の営み(歴史)を踏み外さない強い意志を持って生きたい。
加えて、そんな一見「強い覚悟」を、実のところはさりげなく遂行していくオトコでもありたい♪
では
#五木寛之
#大河の一滴
#新型コロナウィルス
#あれもこれも