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概念を変えよう❢ 「健全なる自己チュー」のススメ

 「自己チュー(自己中心的)」と聞くと、まぁ大抵良いイメージを持つことはありません。

 自分勝手に振る舞って周囲の相手のことは全く慮らず、人の話をほとんど聞かずに自己主張だけ押し通す、などなど挙げていけばキリがありません。

 そこで最近、何が理由かはわかりませんが、

「自他ともに有意義な自己チュー」

があるような気がしてならなくなりました。

 僕の考える「自己チュー」は、

「最終的に自分が損しない、不利益を被らない」

コトなのです。

 たとえば何か頭にきたり気に入らないことがあると勿論相手や周りに誰彼構わず当たり散らします。
 勿論コレも「自己チュー」の一つです。

 でもコレ、最終的にこの行為で自身が支持を受けたり、好意を持ってもらえることには大抵繋がりません。
 むしろ敵意を持たれてしまうことのほうが圧倒的に多いでしょう。

 コレが「これまでの自己チュー」です。

 それに対し先と同じ状況、つまりは何か頭にきたり気に入らないことがあったときに、

「その後の自分にとって最善の策を取る」

それがこれからの自己チュー、「健全なる自己チュー」なのです。

 「我慢しろ❢」とか「感情をあらわにするのはやめろ❢」とかいう次元ではありません。

 単純に

「自分が割りを食わない反応と行動を取る」

これに尽きます。

 「社会貢献」だの「世界平和」だのと言う前に、先ずは「健全なる自己チュー」で自分と外堀を埋めていくのです。

 そう考えれば「自己チュー」は決して悪くもネガティブなものでもなく、物事の出発点となるのです。

 近いうちに取り上げたいニーチェの、

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」

 にも通じますかね!?

 「利他の心を持った自己チュー」

にわたくしは邁進したいものです♬

...キレやすい性格をさらに改善しつつ💦

 では

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