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青梅マラソン「体感記」・・・何十年も前だけど

 今回なのですが、初めてパソコンでアップしております。
 恥ずかしい話ですが、現在「マイPC」を持っておらず、すべてスマホでこなす毎日💦
 それだけにキチョーな時間ですが、むしろ変な出来栄えだったりして・・・

 さて先日、2月8日にあった青梅マラソンの感想をアップさせてもらいました☟

 その記事にも挙げましたが、今はとにかく女子マラソンパリ五輪代表・一山麻緒選手の状態が気がかりです❢
 旦那様の鈴木健吾選手も故障からの復活と五輪切符をかけて来月の東京マラソンに挑む予定ですが、こちらも調整期間をしっかり取れて臨めるの
か❓
 どちらも実直で応援している選手なので「幸運」まで含めて良き結果を期待します❢

 さてさて僕なのですが、今から30年以上前に一度だけ青梅マラソンを走っております❣
 あんまり昔過ぎて正確な時期は思い出せないのですが、記憶が間違いなければおそらく1993年、もしかしたら1994年だと思います。

 1993年だとしたら僕は26歳。自分としてはかつての川内優輝選手の「公務員ランナー」時代と全く同じマインドで走っていた、おそらく
「自分史上最強」時代だったのです
・・・あくまで「自分史上」ですが💦

 レースへの臨み方も川内選手と似ていまして、青梅の約10日前の勝田マラソン(茨城県)で3時間23分という「生涯自己ベスト」を出したのに引き続く連戦❣・・・まださらなる更新を諦めてはいませんがネ(内緒)

 勝田はフルマラソンサブスリー(3時間切り)の自信もあったものの、とにかく自己ベストだけを目指した結果の記録。
 1年前の初マラソンの記録を約10分更新し、青梅は連戦とはいえ高い目標を掲げていました。

 前日の受付時に報知新聞の記者に突撃取材を受け、
 「(フルマラソンサブスリーの必要条件となる)1キロ4分ペースで(青梅の距離30キロ)2時間切りを目指します❣」
とさも当然のごとく答えたら、なんと当日の報知新聞最終面に僕のインタビューが名前入りで載ってしまったのです( ゚Д゚)

 で、気合満タンでスタート❢

 距離で約半分の折り返し地点まではひたすら昇るだけではあるのですが、僕はそれありきのペースで走っていますし、何しろ青梅は景色が超サイコーでテンションアゲアゲ❣
 折り返しを過ぎたあたりでは2時間切りはおろか、上位に名を連ねるくらいのペースアップも視野に入れていました♪

 が・・・

 青梅のコースは20キロ付近に
「魔物」が潜んでいるのでした😢

 今年の青梅マラソンを取り上げるスポーツ新聞にも書かれている通り、
「約25メートルの急激な上り坂」がそれでした❢
 そこを反対に走っていた往路では全くその坂に気が付かなかったため、
「これホントかよ!?」とびっくり仰天( ゚Д゚)

 なんとか這うようによじ登ったものの(←決して大袈裟でなく)、その後はふくらはぎがパンパンで、歩かない程度のペースが精いっぱい。
 勝田マラソンのツケがこの上り坂で来てしまったのです。

 最終的には2時間16分前後でフィニッシュ。
 実は僕、それでも2時間を切れていると思っていたのです。
 それくらい当時は自信があったのですね・・・

 今考えると、この後大好きなスキーの影響も合わせて故障が頻発し、「私なりの選手寿命」が縮んでしまった気がします😢

 だけどそんな経験があったため、川内優輝選手が表舞台に出てきた際には、
「僕が成しえなかった夢を観させてもらえる❣」
と胸を躍らされ、それは現在もパリ五輪を走る可能性が決してゼロではないところでまだ活躍してくれていますのでね♪

 まだまだ人生、あらゆるステージで夢は追い続けていたいものです。
 それが誰かをも応援するモチベーションにもなりますし💪

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