ドラフト会議を経て思い出す自らの中学校時代
先日、先のドラフト会議でDeNAが3球団強豪の末に獲得した
「度会隆輝選手」の話題をアップしました⤵
そちらにも挙げましたが、彼の出身中学がわたくしと同じ
「下貝塚中学校」
たまたま僕自身もドラフトの数日前にその下貝塚中学正門前で自分の通学当時を懐かしんでいただけに、同じ中学出身の度会選手が応援しているDeNAに1位指名されたのは奇跡的な喜びでした❣
今回は、わたくし自身の中学時代が結構ドラマチック&今の人生に良くも悪くも❓影響を与えているので、少し当時の話をさせてもらいます🙏
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僕が下貝塚中学に入学したのは1979年。
今から何年前か計算するのも面倒くさいくらいです💦
下貝塚中学はまさにその年が開校年で、わたくしはちょうどそのタイミングで入学❣
3年生は受験の関係でしょうがいませんで、あとは2年生のみ。
そして当時としてはまだ珍しい
「制服がブレザー」だったのです。
女子はセーラー服が珍しくなかった時代です。
まぁ下貝塚中学は女子もブレザー&スカートだったはずですが。
僕は断然「学ラン派」だったので、
高校は制服も条件に決めました🎶
話を戻します。
たまたま僕の入学前後は男子マラソンの瀬古選手がブレークした時期と重なり、スポーツ音痴ながら水泳部だったせいか校内マラソンの成績が良かったせいもあり、
「中学では陸上部に入り瀬古選手みたいになる❣」
と、それまでの人生で一番明確な目標をかかげていたのです。
が、
ナント入部に両親から待ったが❢
「(水泳、野球ででエリートだった)スポーツ万能の弟(年子の次男)と違ってお前は身体がまだ弱すぎる」
というのが理由でした。
父親と(当時の)国立競技場で瀬古選手のあの会心のラストスパートを間近に観られたのが理由なのに!!
以後のわたくしはまさに今で言う完全な
「うつ状態」
「やりたいことができないということがどれだけつらいことか」
を強烈に思い知らされ、それは大人になっても
「好きなものはやる❢嫌いなものはやらん❢」
という自己主張を強烈に推し進め、そのためには転職を繰り返すなど後先考えない生き方の礎!?になってしまいました。
結局、
「抜け殻」となった息子を見かねた両親が折れ、中1の二学期に晴れて陸上部に入部。
なのに!?
1年後の中2夏休みに身体を病み部活は頓挫。
能力不足の上の疲労蓄積が原因。
両親の心配は紛れもない事実だったことを身をもって証明する有り様(/_;)
まぁ僕自身は当時、
「体調不良の原因がわかり、ようやく治療と休養に専念できる❢」
と前向きに考えられたし、一年前の
「抜け殻&うつ状態」
の方が無限大に辛かったですがネ。
その中でも1つ胸が痛んだのは、何故か将来有望な野球の道を捨て兄貴を追って陸上部に入った弟が練習に身を入れないことを両親が嘆き、
「やりたいことを出来ない兄の気持ちを考えず、なんでお前は💢」
と責められる弟を見ていた時ですねェ...
その後の人生も今思うとドラマチックですが、これ以上思い出すと小説化したくなるので(ウソです🙏)、今回はここまで。
ここに来てようやく我が出身中学からスーパーアスリートが誕生しましたからネ🎶
それはホント嬉しいし励みです。
まぁ、度会選手はシニアリーグで実績をあげたから野球部ではなかったのかもしれませんが...
所詮わたくしはうだつの上がらない中学OBですが、若き将来有望なOBから刺激を受けつつ、少しでも前進できればと遅ればせでしょうが思います💪
では