不機嫌ハラスメントと子どものこと
昨夜は9時半頃、こどもを寝かしつけてそのまま寝落ちしたので、今朝は5時頃自然に目が覚めた。
近頃めっきり朝晩は特に寒くなって、近くの山にもうっすら雪がかかったりして、朝の布団がぬくぬくで幸せだ。
子どもと寝てると、湯たんぽ代わりに暖をとったりする。子どもって熱が高めであったかい。寝ている姿をみていると、動物みたいで不思議な気持ちになる。
不機嫌ハラスメントという言葉を初めて聞いたのは、ジェーン・スーさんのラジオでだ。その後、ここ最近立て続けにその言葉を耳にする。不機嫌で相手をコントロールすること。
わたしはそれについては、なにかと自分事だったりする。この間もこのnoteに書いたけど、小学校4年ごろから幼馴染みがそんな感じだった。
自分が気に入らないこと、落ち込むことがあると、不機嫌になる。しかも特定の人にだけ(主にわたし)。ほかの人にはいつもどおりだったり、明るいよそゆきの態度をとる。私はいわば身内というか、八つ当たりの対象というか気を許し甘えられる、悪く言えばなめられた存在なのだろう。
その後の人生でも、ちょこちょこそういう目にあった。自分にそういう気質があるのだろう。
距離をとることができれば、距離をとる。仕事や家族とかで距離をとるのが難しいなら、そ知らぬふりをする。でもやっぱりしんどい。心が委縮するしいちいち傷ついてしまう。
自分のことを嫌いなのだろうか、自分のなにかが気に入らなくて気分を害させてしまっているのだろうか。
メンタルが弱っている時はそんな風につい自分を責める考えに偏る。メンタル強の時は「またか、はいはい」で気にしない。相手との距離感にもよるけれど。
子どもが生まれて、いつしか自分も子どもに八つ当たりをするようになった。なんでこんなにわがままなんだろう。いうこときかないんだろう。わたしを苦しめるのだろう。自分の人間関係や環境でのストレスをこどものしつけにすり替えて怒りをぶつけていた。
一時期ひどいときは、こどもに怒鳴り散らしながらわめいたり、壁を殴ったりしていた。こどもは怯えて泣いて、わたしは我に返り、泣いて、落ち着いたらこどもに謝っていた。(いろいろ環境の変化があった時期だった)
もはや不機嫌ハラスメントではなく虐待である。
今はそういったことはなくなったけど、口調が荒立ったり、つっけんどんな態度をとってしまう時がある。フキハラだ。
子どもがトラウマにならないといい。子どもに与えたダメージを少しづつ、少しづつ薄くするしかできない。
子どもがわたしのように、人の顔色ばかりみないといい。委縮しないといい。明日がくるのが憂鬱じゃないといい。
自分が子どもの時より、大事なことができなくなっている気がする。
と反省したい、反省したい夜なのである。
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