カタツムリ的自己反芻
とにかく人の目が怖い
それは自分の目の裏返しであることはなんとなくわかっている
容姿、考え方、発言、身に着けているもの、などなど
この人はこういう生き方をしてきてこういう考え方をしているんだなあ
純粋に人に興味がある
いや、興味があるのは実は自分と気が合う人を探したいだけなのかもしれない
気の合う安心できる居場所づくりか?
家族も仲の良い友人もいる
それだけでは物足りないのか
なにかワクワクする刺激を求めているのかもしれない
ワクワクすること、それはなにか作り出すことかもしれないし、非日常的な世界だったり、恋という病かもしれない
人から見て自分がその人の期待や求める人でなかったと感じるとき、もしくは下に見られそういった行動をとられたとき、ものすごく不安と焦りが襲ってくる。自分はつまらない、なにもない、おもしろくない人間だという烙印に怯える。焦ってマウントとったり人の顔色伺うような自分が少し哀れで切ない。
書いていて馬鹿馬鹿しいと思う。
つまらなければ自分で何とかするしかない。人に求めることじゃない。
この一連の思考回路、ここ数年何回もやっていることに気づく。
それでもカタツムリのようにちびちびと進んでいるのだろうか。
暇なんだなあと思う。余裕があるんだなあと思う。
でも暇で余裕があってもこんなこと考えず、ぐんぐん行動して楽しんでいる人いっぱいいると思う。ボランティアとか推奨したいわけではないけど、限られた人生をもう少し、有意義に楽しく過ごしたいなあと思うのだ。
肌断食一週間くらい
昨日一昨日は日差しもあり外出が多かったため、紫外線吸収剤フリーの日焼け止めを塗る。日焼けどめだけでもちょっと前のファンデーション塗った時くらいの安心感がある。まだまだすっぴんで他人と近くで話せる段階ではない。ぬるま水洗顔後、なにもつけないことが普通になってきた。
こころなしか鼻の毛穴の黒ずみが小さくなってきた気がする。
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