原子力政策の正しい理解と批判のために〜新規制基準について〜
災害をきっかけに、原子力の安全性に関して疑問・不安に思った人は多いと思う。ただ、福島事故後に国や電力会社がどのような反省をし、どのような対策をしてきたかについて、適切な記事などが全然なく、情報が理解可能な形で提供されていないことに疑問を感じたので、この記事を書いている。本当は原発みたいな国民の関心事について新聞などメディアが正しい記事を書くべきと思うが、現状見つからないないので、仕方なし。(情報自体は国民に対して批判の目にさらされ得るようにほとんど公開されている。たとえばこれとか新規制基準|原子力規制委員会 (nra.go.jp) 新規制基準適合性に係る審査結果の説明資料|原子力規制委員会 (nra.go.jp) ただ、これを専門家以外が理解するのは困難だと思う。だから、記者などに解説の記事を書いてほしいんだけど、専門的すぎるせいもあるのか本質的なこと書いてる記事をあまり見ない。日本にBBCがあったら…と思ったりする)
はじめに
俺は原子力の安全性に関係する仕事をしている。いわゆる原発従事者のひとり。原発に対する見方としては、今は社会の必要悪という感じ。ひどい事故を起こしたものだから、なくて済むならないほうが良いとも思う。でもエネルギーの安定供給とか、CO2排出削減とかいろいろなことを考慮すると、なくすことはできない電源だと考えてる。(だって仮に全部再生可能エネルギーにして、風が吹いたときだけ電車が動きますとか太陽が照ってる時だけ暖房使ってOKみたいな社会にできないから。(蓄電池や需給調整にもいろいろ問題あり))。で、しかたなく原子力が必要とされるなら、その一番重大な問題である安全性に関わろうと思って俺はいまの部門で仕事している。原子力なしで社会が回るなら、俺の仕事なんかなくなってもいいと思う。こういう立場だから、できるだけ中立的な見方で、この記事を書きたいと思っている。
新規制基準について
事故後のいろいろな経緯をかくより、新規制基準について解説したほうが良いと思う(新規制基準|原子力規制委員会 (nra.go.jp))。
福島事故の後、新規制基準というものを国(原子力規制庁)が制定して、その基準に適合した原子力発電のみが稼働できる仕組みになった。要は運転を許可するのに必要な設備と対策が何か国が改めて決めた法律。現在新規制基準を満たしたものだけが再稼働している。新規制基準も技術の進歩によってどんどん見直されるから、再稼働されたらOKお役御免ではなく、何年かごとに再審査があり、毎回アップデートされた基準に適合されるか毎度審査される。正直法律がちょこちょこ変わるのは対応がかなりきつい。
新規制基準の主な基準を次にまとめる。わかりやすいと俺が感じる順にまとめるから、専門家は少し不満に思うかもしれないし全部は書けないが許してくれ。(もし間違いがあったらコメントなどで指摘してほしい)
新規制基準①航空機がテロによってハイジャックされて落ちてきても大丈夫
意図的な航空機衝突が起こっても、原子力(格納容器)が安全に保てるような設備と対策があることを、国は電力会社に要求している。これは特定重大事故対策設備(通称特重)と呼ばれており、故意による大型航空機の衝突やその他のテロリズムにより、炉心が著しく損傷した場合又はそのおそれがある場合に、原子炉格納容器の破損を防止するための施設。詳細はこの記事とかが良いかもしれない(特定重大事故等対処施設(特重施設)とは何か – Global Energy Policy Research | GEPR)。
逆に言うと、今再稼働しているものは、航空機がテロによってハイジャックされて落ちてきても大丈夫と国に認められたものだけが動いているといえる。
正直自分はこれはリスクに対して過剰な対策をしすぎていると感じる。さすがにそんなこと起こらないだろうし費用対効果を考えてそこまでするかと個人的には思ってしまう。でも国も電力会社も、事故の反省から世界一安全な原子力発電を目指していて、過剰ともいえるかもしれない対策をここまですることが、国民とのコンセンサスだと考えたということである。そのために法律を整備し、研究し、開発し、設計し、実際の設備を作り、工事・設置し、現場対応の手順書を策定している。
俺らにとってはこの特重設備は毎日対応していて当たり前の話なんだけど、たぶん多くの人は知らないんじゃないかと思う。なぜならそれを知ることができるニュースや記事があまりに少なすぎるから。原発みたいな重大な関心事に対して、なんで規制庁やエネ庁や電力会社のホームページしか出てこないんだよ、と思う。だからこの記事を読んでくれてありがたいと思う。
新規制基準②津波対策
福島では巨大津波がきたことで多くの系統や機器や喪失して事故に至った。それに対して現在どういう対策をしているかを記述する。
・基準津波の計算
原子力発電所に大きな影響を及ぼすおそれがある最大規模の津波を「基準津波」という。最も厳しい条件でどのような高さの津波が来るか計算する。
・防潮堤の設置
上記基準津波を上回る高さの防潮堤を設置する。例えば泊原発は、海抜16.5m、全長約1,250mの防潮堤を設置していたが、さらなる対策のための工事を準備している(津波から発電所を守る - 北海道電力 (hepco.co.jp))
今回の災害における津波は3m程であったようだから、例えば新潟の柏崎刈羽原発は15mの防潮堤があるため津波が侵入する可能性は低かったといえる(津波対策|新潟本社・柏崎刈羽原子力発電所|東京電力ホールディングス株式会社 (tepco.co.jp))。
・水密扉の設置
仮に上記防潮堤を乗り越えるような巨大津波が来た際にも、水密扉を設置することによって、津波が施設内に侵入することのないような対策が取られている(上記泊原発の記事参照)。水密扉は、建屋の外側に設置して外の津波から建屋を守るだけでなく、建屋内にもたくさんあり、区分を分ける箇所にも必要なものが多数設置されている。つまり、仮に津波が防潮堤を乗り越え、さらに外の水密扉を破壊して建屋内に侵入しても、すべての区分が喪失することのないような設計がされて、水密扉の設置がなされている。
新規制基準③地震対策
・基準地震動の策定
基準地震動の策定にあたって、文献などによる過去の地震の調査や、内陸地 殻内地震、プレート間地震、海洋プレート内地震など発生様式ごとの地震の調査、活断層の調査などを 行う。敷地への影響が大きな地震を選び、その地震動を評価。(参考:https://www.ene100.jp/www/wp-content/uploads/2015/10/qa_005.pdf)
・耐震設計
上記基準地震動に対して、必要な耐震対策の設計(再稼働であれば再設計)を行い、耐震サポートやダンパーなどを設置する。簡単に書いたけど、耐震工事ためのサポートの数はとんでもない数が設置されている。参考:原子力発電所の地震の揺れや津波・浸水への対策 | 原子力施設の規制と安全性向上対策 (jaero.or.jp)
新規制基準④放射性物質の拡散防止対策
①-③は事故にならないための対策であるが、万が一事故になった場合に放射性物質を外に出さないための新たな拡散防止対策が求められている。例えば以下。
・屋外放水設備の設置
・ 敷地外への放射性物質拡散抑制対策
・ 使用済燃料プール冷却手段の多様化
例えば泊原発では、原子炉格納容器が破損した場合に放射性物質の拡散を抑制するため、放水砲、 放射性物質吸着剤及びシルトフェンスを配備している(Microsoft PowerPoint - 【提出用】161021_北海道資料.pptx (u-tokyo.ac.jp))。
新規制基準⑤その他
その他とまとめるにはあまりに膨大なのだが、皆さんの興味は主に①〜④かと思うし、かなり専門的すぎるので、ここではその他としてまとめる。これらに対して(そのほか上記①-④でも)物申したい野生の専門家がいたらコメントで教えてくれ。
・重大事故防止対策
-放射性物質の拡散抑制対策(上記④)
-格納容器破損防止対策
-炉心損傷防止対策 (複数の機器の故障を想定)
・設計基準事故対策
-内部溢水に対する考慮
-自然現象に対する考慮 (火山・竜巻・森林火災を新設)
-火災に対する考慮
-電源の信頼性
-その他の設備の性能
・耐震・耐津波性能(上記②③)
(参考Microsoft PowerPoint - 【提出用】161021_北海道資料.pptx (u-tokyo.ac.jp))
新規制基準は、このくらい多くの対策を要求しているものの、これは国が定めた最低の基準である。だから、多くの電力会社は新規制基準以上の対策をしていることも理解してほしい。
再稼働しているプラントは、航空機が故意に落ちてきても対応できる設計であり、津波・地震対策もこれまで以上の非常に厳しい対策をしており、万一事故が起こった場合でも環境への影響を最小限にするための努力をしている。
これらの情報は、ほぼすべて公開情報からの引用であって、誰でもアクセスできるようになっているのだが、専門的過ぎることもあり、アクセスできても理解のハードルは高いのではないかと感じる。原発について考えたいと思ってもらっても、正確な知識がないと、そのための手段がないと、物事を正しく判断することはできないと思う。この記事によって、それらの理解や批判の一助になることを願う。
福島事故からこれまでの経緯
もう書きたいことは書いた気がするから、ここは俺が書くのではなく福島事故から今までどのような議論がされてきたか解説された記事などを貼る。
まずは東電のこの記事かと思うが、少し専門的過ぎるかもしれない。一読の価値はあると思う。
福島第一原子力発電所事故の経過と教訓 (tepco.co.jp)
内閣府原子力委員会の原子力白書は、幅広くわかりやすいと思う
「令和2年度版 原子力白書」1-2 福島事故の教訓を真摯に受け止めた不断の安全性向上-原子力委員会 (aec.go.jp)
これとかは福島事故の教訓とか避難の対策、放射性物質などの影響について幅広く書いてあり分かりやすい
h281226saigaisisin.pdf (pref.ehime.jp)
新規制基準以外にも、様々な取り組みが行われている。
例えば民間の第三者機関がの自主規制組織である原子力安全推進協会(JANSI)の設立など。
JANSIについて | 原子力安全推進協会 (genanshin.jp)
さいごに
今回の災害に関する個人的な所感としては、原子力が重大事故を起こさなくて本当に良かったということ。心からよかったと思う。災害が起こっても事故にさせないための対策は、国や電力会社はすごく長い時間をかけて今までやってきた。それによって、安全性は過去よりもとんでもなく上がっている(定量的にも)。このようにリスクを限りなく低くする努力はできるし我々はしているものの、それでも、リスクを完全なるゼロにすることは理論上不可能である。だからイチ従事者として非常に不安だった。結果的には今回の大地震と津波に対して全原発が安全上問題のある事故を起こさなかったので、原発の安全性を示す証拠が1つ出来たということになると思う。それに対しては、今まで尽力してくれた国、研究所、電力会社、メーカーの皆さんに本当に感謝しかない。また、現場対応してくれた作業員の方は本当に大変だったとおもうが、無事に乗り越えてくれてありがとうございました。
この災害に起因して、多くの人にとって原子力の安全性について再考するきっかけになったと思う。俺は冒頭に書いた通り原発従事者だけど、推進派では全くないし、原子力発電が国民のみなさんの批判の眼にさらされることは、あるべき姿だと思う。なにをきっかけでも良いが、考えてくれたらありがたいと思う。ただ考えるための材料があまりに少なくて、正しく考えることができないと感じたからこの記事を書いた。軽くまとめると、現在再稼働しているプラントは、航空機が故意に落ちてきても対応できる設計であり、津波・地震対策もこれまで以上の非常に厳しい対策をしており、万一事故が起こった場合でも環境への影響を最小限にするための努力をしている。このような取組等を理解していただけたらありがたいと思う。
不安だ、怖いという気持ちは非常に理解できるし、その感情に対して、我々がどのような対策をしてきているか知ってもらい、ここは安心、ここは不安、など皆さんが自分で判断する材料に少しでもなれば幸いだと思う。
最後まで読んでくれてありがとうございます。これを読んだうえで、それでも原子力発電に反対だったり、必要悪と考えたり、意外と国も電力会社もちゃんとやってるんだなと思ってもらえたり、いろいろな感想があると思う。俺は原発反対な人の気持ちも理解しているつもりでいる。故郷を追われた人もいるし、酷い事故を起こしたし、それに対して恐怖や怒りを感じることは自然だと思う。俺も従事者として自問し、非常に反省している。多くの仲間は別の分野に転職していったりした。でも自分は、ここに留まり、より安全な発電の運用について考えて行動していきたい。皆さん一人一人についても、自分でこの問題に関して調べて自分で考えてくれたらありがたいと思う。皆さんが自身で考えた結論に対しては、反原発であってもなんでも俺は尊重したいし、尊重したうえで、自分やこの電力がどのようにあるべきか考えていきたいと思う。