女子枠やアファーマティブアクション等に関する意見
本件、様々な議論が行われているが、個人的にはあまり効果はないと感じる。
本件に関する最大の問題点は、大人が人を男性や女性、黒人白人、職業など属性や身分で判断し、子供に押し付けて彼らの判断を惑わす点にある。しかし、自分たちや自分の世代が変わる努力をせずに、女子枠については入試の制度を変更することで、次世代が解決するであろうと先延ばしをする。これは責任放棄であり、恥ずかしいことだと感じる。しかも女子枠を設けることで他人を属性で判断する事を助長するため、問題の真の解決から遠ざかる。
米国における人種問題が百年以上解決していないのと同じく、本件についてもそもそも人間を属性で判断する事をやめなければ解決しないだろう。仮にこれについて解決できても、その態度がある限り別の差別を発明して運用するだけではないか。例えばメリトクラシーのように。
大人があるべきは、子供たちがやりたいことを自ら見つけ、それを大人は偏見を以て止めることはしないという態度だと思う。大人の意図を消すことが必要。女性来てほしいです、入試制度変えましたではない。それは子供にとって非常に負担になる。自分らの意図を排除し、彼らが自ら選びそれを止めないことが大事である。
もし自分の大学に女性学生が少ないことを本気で問題に思うなら、学長含め理事らが、女性差別があると考えられる地域の高校に一々赴いて保護者や教員を説得するべきである。それが責任のある行動だと考える。入試の制度を少し変えて仕事した気になるのではなく。それは文科省や様々な関係者と連携をとっても良い。
これらの「大人が偏見を解除する」という努力を実施した上で、この何年かの差別に報いるためにアファーマティブアクションするなら筆者は賛成である。そうでなければ順番がおかしいのではないか。