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日経のIPランドスケープ記事について考えてみたー特許の量と質の議論ー

昨日、日本経済新聞電子版に「知財、量に頼る日本企業 質は海外に見劣り-分析法「IPランドスケープ」で鮮明に」という記事が掲載されました。

「知財情報を組織の力に」をモットーに知財情報コンサルティング活動をしている私にとって、特許情報をより多くの方に活用して欲しいという想いはあるのですが、こちらの記事を読んで誤った認識が拡がってしまうことを危惧しています。

もちろん”誤った認識”というのは私の見解ではあるのですが、ここではこの日経の記事や今後このような記事を読む際の留意点について述べていきたいと思います。


記事を読んだ際に私が持った疑問&ポイント

昨日、この記事を読んだ際に私が持った疑問は以下の2点です。

1. IPランドスケープって分析手法なの?
2. 特許の質と量の議論が乱暴じゃありませんか?

あと、グラフの見せ方とか突っ込みたいポイントはいくつかありますが、この2点に絞って解説していきたいと思います。

以下、長くなるので手短にポイントだけまとめておきます。

①IPランドスケープという言葉に気を付けよう(IPランドスケープ=分析法というのは聞いたことない)
②特許の質を何で測っているのか確認しよう
③異なる業界・業種の企業を比較する際は注意しよう


IPランドスケープとは?

2017年4月に知財人材スキル標準(version2.0)でIPランドスケープが定義されてから、「そもそもIPランドスケープって何なの?」という議論が続いてきました。

ウィキペディアの方でも整理しましたが、

で述べたように、日本では「知財重視の経営」、「知財情報分析結果を経営戦略・事業戦略へ活用」、「知財情報と知財以外の情報を総合的に分析」といった意味合いで使われています。

一方、海外では「知財全般の概況把握」のようなより漠然とした意味合いで使われるケースが多いのです。

なので、この日経の記事のサブタイトル、

分析法「IPランドスケープ」で鮮明に

を見た時はズッコケました。「へぇ、IPランドスケープって分析法なんだ」と。

私のこれまでの知財情報調査・分析業務における経験(外資系企業での5年の勤務経験も含め)で、IPランドスケープという分析方法は聞いたことがありません。

あとで説明しますが、この記事で使われているPatentSight社の特許分析ツールを批判するつもりはありません。

こちらのツールはPatent Asset Index、Competitive Impactという特許価値指標を搭載しているとても良いツールです。私も仕事ではなく、アカデミック用途で利用させていただいており、昨年の知財学会ではPatentSightを用いて分析した結果を発表しました(参考:日本知財学会2019「業界・業種において特許出願構造・特許価値が業績へ与える影響に関する定量的検証」)。

たまに、「IPランドスケープに良いツールは何でしょうか?」という質問をいただくことがありますが、どのツールを使えば正解ということはありません。よく挙げられるデータベース・ツールとしては、

VALUENEX DocRader/TechRader
パテントリザルト Bizcruncher
PatentSight
SPEEDA

を聞きますが、これらのデータベース・ツールを導入すれば、IPランドスケープができるわけではありません(繰り返し言いますが、これらのデータベース・ツール自体は良いデータベース・ツールです)。仏作って魂入れずと同じことです。

イーパテントでは、クライアントから「IPランドスケープをやって欲しい(=知財情報と知財以外の情報を総合的に分析して、〇〇分野の戦略立案支援をしてほしい)」というご依頼をいただきますが、分析ツール(?)はExcelです。Excelを使っていて、クライアントから何か文句を言われたことはありません。

この記事を、特に知財に詳しくない方が読むと、特許の質を評価する分析手法のことをIPランドスケープというらしい、という偏った理解をしてしまうのではないかと懸念しています。

ちなみにIPランドスケープという言葉を、知財情報分析または特許情報分析に置き換えて読むと(次に説明する特許の質の議論をおいとけば)かなりスッキリします。

1点目のまとめ。

IPランドスケープは分析法ではありません。日本での用法的には、経営・事業へ知財情報分析を活用するという活動です。ただし海外での用法は日本とは全く同じではありませんのでご注意を。

IPランドスケープについては、過去に論考やブログなど様々なところで情報発信してきましたので、ご興味ある方は以下ご参照ください。
・YouTube動画 知財情報分析の過去から現在まで-“三位一体”、“経営に資する”から“IPランドスケープ”
IPランドスケープの底流-情報分析を組織に定着させるために(IPジャーナル)
知財情報分析における変化と不変~アジア特許情報研究会 10 周年に寄せて~
e-Patent Blog IPランドスケープ関連記事
Japio YEAR BOOK 2018 特許情報をめぐる最新のトレンド ─ 人工知能、IPランドスケープおよび特許検索データベースの進化─

特許の質とは?-①特許価値評価ツール

2点目は特許の量と質の議論です。

まずは、この記事で使われているPatentSight社の特許価値評価=特許の質について見ていきます。

PatentSight社のツールではPatent Asset Index(以下PAI)、Competitive Impact(以下CI)という特許価値指標を算出することができるのですが、ロジックとしては以下のようになっています(PatentSight社ウェブサイトより)。

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日本経済新聞ウェブサイトでは、

コンペティティブ・インパクト(CI)は各特許の技術的価値(他の特許による引用)と、市場(どれだけの国で特許化されているか)で算定される。引用を指標にするのは、他の特許が出願時に自らの独自性を主張する際に引用されるほど、価値が高い特許とみなせるためだ。世界全特許のCIの平均値が「1」だ。

のように説明されています。要は

1.発行国
2.引用・被引用

の2つのファクターで特許価値を算出しています。仮に引用・被引用がゼロ件の日本出願のみのパテントファミリーと米国出願のみのパテントファミリーがあったら、Market Coverage(市場)ではアメリカの方が日本よりも市場が大きいので、特許の価値が高い、そういう算出の仕方をします。

もう1点追加しておくと、PAIとCIの違いは

PAI:ポートフォリオ全体の価値
CI:1ファミリー当たりの平均価値

のようになっています(記事の中で”円の大きさは総合力”とありますが、バブルサイズがPAIを示していると思います)。

参考に、日本企業でよく利用されているパテントリザルト社のパテントスコアはどのように算出されているかというと、

パテントスコアは、特許出願後の審査経過情報をもとに、 個別特許の注目度をスコアリング評価する指標です。出願人、審査官、競合他社の3者のアクションに着目し、 同一技術分野、出願年の他の特許との相対比較により 偏差値で評価します。
◆出願人の権利化への意欲
 (早期審査請求、国際出願など)
◆先行技術としての審査官からの認知度
 (拒絶理由通知に引用された回数など)
◆競合他者からの注目度
 (無効審判、異議申立の有無など)
出願人による権利化への意欲が高い特許や、審査官や競合他社から注目される特許ほど、パテントスコアによる評価結果は高くなります。

のようになっています。特許価値を算出するにあたって、引用・被引用を使うことは一般的です。

パテントリザルトのパテントスコアに比べて、PatentSightのPAIやCIの算出方法は極めてシンプルです。シンプルさゆえに、グローバルでの特許価値に使えるというメリットがあります。


このロジックの注意点を1つ挙げるとすると、”引用を指標にするのは、他の特許が出願時に自らの独自性を主張する際に引用されるほど、価値が高い特許とみなせるためだ”がホントか?ということです。

仮にマーケットシェア100%の会社であれば、特許出願しても他社から引用されることはほぼないでしょう。引用するとしても自社の過去の出願になります。極端な例ではありますが、ある程度寡占化された市場だと引用・被引用があまり効かない可能性があります。


特許の質とは?-②特許価値評価の観点

特許価値評価にはいくつかの観点があります。

①定性的な評価か、定量的な評価か?

今回の記事ではPAI、CIなどを使った定量評価(スコアリング、レイティング)です。

なお定量評価の中には経済的価値評価(特許1件〇〇円)と非経済的価値評価の2つに大別されますが、PAI・CIやパテントスコアは非経済的価値評価です。

②法律的な評価か、技術的な評価か、ビジネス的な評価か?

なかなか一口では言いにくいですが、発行国と引用・被引用というファクターを使っていますので、発行国=市場規模=ターゲット市場と考えるとビジネス的な評価、引用・被引用は技術的な評価の折衷と言えるでしょう。

③1件の評価か、束・ポートフォリオの評価か、全社評価か?

実務面ではある特定事業ユニットにおける知財取引・ライセンスなどにおける評価が多いのではないかと思います。今回の記事では会社ごとの全体特許ポートフォリオでの評価になっています。

④自社評価か、他社評価か?

今回はPatentSight社のツールを使った他社評価です。ただし、他社評価でいくら評価結果が悪いからと言って、自社評価で評価が低いとは限りません。逆も然りで、自社評価では評価が低い特許が他社評価ではかなり高い評価を得ている場合もあるでしょう。


あと一番重要なのは「特許価値評価の目的」です。

今回の記事では、以前から問題視されている量から質へに対して、いまだに欧米企業に比べると日本企業が遅れている、という点を指摘するために特許価値評価を使っています。

いつの時点と比較するか、誰と比較するかで日本企業の取り組みへ対する評価は変わってくると思います。

図1の右上にあるパナソニックとソニーの推移を見れば、2000年の自社と2020年の自社を比較すると、それぞれパナソニックが2倍、ソニーは5倍ほどのCI(1ファミリー当たりの平均特許価値)向上が確認できます。

それでは他社と比べてみると・・・という議論は次で。


特許の質とは?-③業界構造・競争環境・ビジネスモデルなども考慮する

比較する際に「Apple to Apple」でという言葉があります。リンゴとリンゴですので、同じ性質・種類のものを比較しろ、ということです。

もちろん果物というカテゴリーで比較するのであれば、リンゴとバナナを比較することもあるかもしれません。要はどういう土俵の上で比較するのかを明確に意識しましょう、ということです。

「Apple to Apple」を念頭に図1を見ていただくと・・・・

最初に見た時に、これ何を比較したいのかが分かりませんでした。医薬品メーカーのロシュや武田薬品工業がいると思いきや、キヤノン、トヨタ自動車、日立製作所と日本を代表する大企業、そしてGAFAからはアルファベット(Google)、Amazon、Appleなどを持ってきています。

キヤノンやトヨタ自動車など日本企業のいくつかは総合力(円)が大きいが、右下に偏っている。これは各社が持つ特許の数が多く、平均的な質が低いことを示している。つまり日本企業の知財総合力は、主に特許の量で達成されている。

とありますが、医薬品メーカーやGAFAと比べるのが強引ではないかと思うわけです。

業界が異なれば、競争環境や利益創出のルール、ビジネスモデルが変わります。それに伴って知的財産権、特許権の関与の仕方も変わってきます。

ここで1つ、昨年冬に知財学会で発表した分析結果をお示ししたいと思います(PatentSight社のツールを利用させていただきました)。

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6つの業界においてグローバル売上高の上位7社を選定して、その7社のPAI・CIの平均値を算出したものです(選定した企業などは知財学会のスライドに掲載していますのでご参照ください)。

もう1度PAI(=Patent Asset Index)・CI(=Competitive Impact)についておさらいすると、

PAI:ポートフォリオ全体の価値
CI:1ファミリー当たりの平均価値

です。このグラフから言えることは、業界・業種によって1ファミリー当たりの平均価値は異なるということです。

なので、医薬品メーカーと自動車メーカーを比べることは「Apple to Apple」ではないのです。仮にトヨタ自動車とAppleを比較したいのであれば、自動運転なり両者の共通する技術分野を抽出した上で比較考察すれば、まだ「Apple to Apple」になるかと思います。

ちなみに「Apple to Apple」ではなくても、知財戦略について先進的な取り組みを行っている企業をベンチマークとして分析するのはありだと思います。しかし、自動車業界が医薬品業界では業界構造が違い過ぎるので、ベンチマーク対象として適切な企業を選定するのが重要です。

あともう1点追加しておきたいのが、各社のグローバル売上高比率です。PatentSight社のロジックに限った話ではありませんが、グローバルでの特許レイティング・スコアリングを行うと、どうしても米国特許の価値が高く算出される傾向にあります。

PAI・CIであれば、発行国(=Market Coverage)と引用・被引用(=Technology Relevance)の2つの要因で算出されます。仮に日本市場中心で戦っている企業と、米国市場中心で戦っている米国企業があった場合、それぞれの会社の出願は自国中心になります。こういうドメスティック企業を比較しようとするとMarket Coverage(市場)の影響で、米国市場中心で戦っている米国企業のCIが日本企業よりも高く出てしまうのです。

これは一例ですが、この手の特許価値・特許の質を議論する場合は、どのように特許評価・特許の質を測っているのか確認しておく必要があります。

まとめ

以上、日本経済新聞ウェブサイトの記事に対する私的見解を述べさせていただきました。繰り返しになりますが、PatentSight社はじめ上記で名前を挙げた会社のデータベースやツールを批判するつもりはなく、特許価値評価・特許の質を議論する際には十分に留意する必要がある点を強調したいというのが真意です。

なお、特許の量と質については、以前からも議論がありました。

こういうスパッと分かりやすい指標で警鐘を鳴らしたい気持ちも分からなくもないですが、「日本は遅れてる!欧米を見習え!」みたいな紋切り型のストーリーが見え隠れして好きにはなれません。

日本企業が、欧米企業が、ではなく、要は知財に対してしっかりと取り組んでいる企業とそうではない企業があるだけで、そこに国籍は関係ないと思います。

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