サイゼリヤの懺悔
※公開前にサイゼリア(正:サイゼリヤ)って全部なってて修正しました。
29歳という妙齢になったことで増えたことがある。それは、シミでもなくて皺でもなくて白髪でもない。あ、もちろんそれらは言わずもがな増えているけれど。今回言いたいこと、それは「思い出」だ。年齢を重ねるに増えて、わたしたちは良くも悪くも思い出を増やしていく。
その思い出を今日は、サイゼリヤに馳せていこう。みなさんサイゼリヤには行ったことがあるだろうか。わたしは正直サイゼリヤに行ったことあるのは、数える程度だと思う。20回は行ってない。知らんけど。
サイゼリヤといえば、高校生(=学生)というイメージがある。安くて美味しくて、学生の味方、ドリンクバーも佇んでおられる。わたしも高校生の時にたくさん行ったと言いたいところだけど、めちゃくちゃ田舎だったためサイゼリヤが行動範囲内に存在しなかった。なのでわたしにとってはサイゼリヤはまったく馴染みがなく、高校生で生涯分の来店数を挽回することができなかった。
そういった背景もありながら、ちゃんとサイゼリヤにも思い出がある。
まず初めてサイゼリヤに来店したときだ。これはあまりいい思い出ではない。なぜなら注文を間違えられたからだ。
その当時、仲良し4人組で来店した。(てか来店っておかしくね。訪店?)そのときは、浪人が決まっていた高校3年生か、もはや卒業後だったと思う。
わたしは自分が何を食べたかは覚えていないけれど、友達の注文でミスがあった。友達は、ミラノ風ドリアを頼んだ。無事注文も通り、料理も食べて談話していた。
そのとき、ふと友達が伝票を見て言った。
「あれ、ミラノ風ドリアを頼んだのに。シーフードドリアになってんだけど。」
そこからドリア談義が始まった。「あれ、でもさっきのドリアエビ入ってなかった?」思い返すと食べた友だちは、答え合わせをし始めた。(ドリアを食べた友だちは数名いた。)
答え合わせの結果はこうだ。
ただ伝票を間違えているのではなく、シーフードドリアをみんなミラノ風ドリアだとなんの疑いもなく完食していたのだ。
・ミラノ風ドリアとシーフードドリアは100円弱の誤差。
・そしてわたしたちは満足に完食していた。
まあ、この年齢になると「あーそうなんだ。気づかないもんなんだね」と、自分の能天気さというか、ざっくりとしか捉えない自分たちを嘲笑するはずだ。
ただその時の勢いというか、若さというかが許さなかったらしい。
100円の誤差が高く見えるお年頃であることは否めない。
わたしたちはそういった背景が勇気を持ち合わせたことから、満足して完食しているのにも関わらず、店員さんを呼び出した。
定員さんが注文時にメニューを復唱しなかったことを理由に(本当に復唱はしなかった)、経緯を説明した。
そして、ミラノ風ドリアの金額で手を打つという結論をなびかせた。
店員も納得いかない、は?な表情だったが、店長が出てきてしまいその要求は通ってしまった。
正直、そのやり口には辟易していたが自分は関係ないとその場を見守っていた。100円くらい払えよと今になって言いたい。
そしてサイゼリヤの話題になったり、訪店すると、関係者は、その話をする。
サイゼリヤさん、その節は失礼しました。友達たちもやばいよねって話をして猛省しております。
今後そのようなクレーマーにはなりませんので、末永く学生の味方、いや全人類の味方として生き残り続けてください。