現実と非現実の境で踊る: しぐれうい「fiction」レビュー
結局のところVTuberという存在はただの虚像なのだろうか。その存在に明確な設定が施されていたとしても、その画面の向こう側にいる人間に思いを馳せてしまうものなのだろうか。そしてそれを口にしてしまうことは禁句となるのだろうか。どれだけ高品質な作品を生み出したところで、現在活躍するVTuberというコンテンツはこのパラドックスから逃れられないという状況が続いているということは誰の目から見ても自明だ。VTuberという存在はフィクションである、という事実を否定することで始まるのが現在のVTuberの活動である。
そんな中、しぐれういというVTuberは自身をフィクションと定義することを肯定する稀有な存在だ。「VTuberしぐれういはイラストレーターしぐれういが作り出した一つの作品である」という本人のインタビューでの言葉通り、このコンテンツを評するときに禁句となりがちな「中の人」という言葉の所在を明確に「イラストレーターしぐれうい」に置くことによって逆説的に存在自体が虚像であることを肯定した、というわけだ。
現在進んでいるしぐれういのVTuber活動5年を記念したプロジェクト「しぐれうい 5th Anniversary Project」の大きなコンセプトは「イラストレーターしぐれういとVTuberしぐれういの立ち位置」と発言していたが、その一環として今回リリースされた「fiction」でもイラストレーターとしてのサイドとVTuberとしてのサイドの二つに分かれた楽曲が交互に配置されている、という構成になっている。実写のコンクリートとローファー、水たまりに映る虚像としてのVTuberしぐれういの姿、というジャケットも示唆的だ。しぐれういの2ndアルバム「fiction」は、アルバムやアートワーク等全てを通して一つの人間、物語を表現するコンセプトアルバムなのである。
アルバムの幕開けを飾るのは堀江晶太による「ハッピーヒプノシズム」。彼のボカロ文脈を経由した足し算的な邦ロックサウンドが印象的な、オープニングに相応しいキラキラしたポップソングだ。間奏の部分でそれまでのリズムを崩してジャズ的なアレンジへと変貌するのも流石の手腕と言う他ない。
ナタリーでのインタビューで本人がこう語ったように、この曲は「しぐれういはフィクションである」というメッセージを象徴する一曲だが、筆者はそれと同時にこの曲は「イラストレーターしぐれういがVTuberしぐれういを生み出す歌」である、と解釈している。まず初っ端の歌詞からしてこれだ。
この「これから錯覚しようよ」という問いかけが指す先は我々視聴者であると同時にVTuberしぐれういであるのではないか。2曲目が「うい麦畑」である以上この曲はイラストレーターサイドから描かれたものであり、「ものがたり」というワードは虚像、つまりVTuberしぐれういの居場所である配信を指すもの、歌詞の最後で歌われる「おはよう!」という一節もVTuberしぐれういという作品が完成した、とも捉えられるのではないか。こうしてVTuberしぐれういが誕生したということ、そしてそれは虚像であるということの二つを宣言してフィクションの物語は幕を開けていく。
「おはよう!」という声で目を覚ましたVTuberしぐれういはナナホシ管弦楽団による「うい麦畑でつかまえて」で縦横無尽の大暴走を繰り広げる。本人が「VTuberしぐれういのキャラソン的な一曲」と語っている通り、彼女の配信などでの性格や視聴者とのバトルがこれでもかと表現され、更にパスタ、シャボン玉、後光などと恒例となっているネタが随所に散りばめられた情報量の暴力のような世界観が炸裂。大手のVTuberで初っ端「I hate you.」なんて歌詞ぶちまけられるのあなたくらいですよ。
前作「まだ雨はやまない」(2022) にはしぐれうい(9さい)名義で凄まじいバズを記録した「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」という楽曲が収められていたが、この曲はそれの続編にあたるようなものと言えるだろう。アルバムに先立って公開されたMVの凝りようも流石のものだ。個人的に、ボカロ曲やVTuberなどによく見られる一枚のイラストを動画編集で何度も映して歌詞テロップを大きく凝って映す、という趣のMVはどうしても手抜き感が感じられてしまいあまり好きではないのだが、彼女が発表したオリジナル楽曲のMVはどれもアニメーションにかなりの拘りが窺える。これも本職がクリエイターであるからこその矜持だろうか。しかしながらやりたい放題の一曲だこと。
ここで視点は再びイラストレーターしぐれういへと移動。じん提供の「ひっひっふー」だ。この曲はリスナーの誰もが、そして本人までもが驚いたまさかのラップ形式。しかもサウンドはかなりアグレッシブなロックテイスト。暴れ回るベースラインに巧みなギターワーク、畳みかけるようなフロウ。そしてエクスペリメンタル気味なサウンド展開のパートを挟んでから溜めに溜めたパワーが解放、シンガロング必至のアンセミックなメロディーが炸裂。この超展開を僅か2分44秒で駆け抜けていく楽曲構成。ちょっと強すぎる。
歌詞に目を向けると見えてくるのはプロイラストレーターとしての矜持だろうか。しかし普段の本人が全く口にしなさそうな自信満々、自画自賛的で強烈なリリック。
インタビューによるとじん氏がラップ作品を書くのはこれが初めてとのことだが、この凄まじいスピードで彼女の強さをこれでもかと見せつけていくようなリリックは流石としか言いようがない。音楽と小説の二刀流を操る作家であるじん、イラストとVTuberの二刀流であるしぐれういという二足の草鞋による共鳴である。
しぐれういのフロウもまさかの完成度で、この部分に関しては過去になかったくらい声を荒らげて歌う衝撃の一面も見える。そしてそのすぐ後のパートでキュートさも顔を出す多面性がたまらない。改めてイラストレーターしぐれういはプロフェッショナルな作家なのだな、と音楽を通じて感じる機会になった。
あとここの歌詞、いくらなんでもカッコよすぎる。
アルバム4曲目はQ-MHzによる「微炭酸SWIMMER」。2000年代あたりのアニソンとか、pop'n musicみたいな音楽ゲームのオリジナル曲なんかの香りを感じさせるサウンドが楽しい、カラフルなポップソングって感じ。このバカみたいにキュインキュイン鳴るシンセの音とか、ちょいちょい顔を出す合いの手とかにちょっと平成のノスタルジーを感じる。前作の「放課後マーメイド」なんかを彷彿とさせる底抜けた明るさがあるのが好きポイント。
歌詞もしぐれういという人の性格をそのまま書き出したような、全編にわたって突き抜けるようなハッピーなフィーリング。
この曲はおそらくVTuberサイドのしぐれういをテーマに書かれているものだけれど、イラストレーターもVTuberも「楽しいこと全部やる」みたいなモチベーションで活動している両方の彼女を象徴するような一節だなと感じる。このポジティブさがどうしようもなく好きなんだよな。
2曲連続でVTuberサイドの楽曲が並ぶ。5曲目は松井洋平・睦月周平タッグによる「Paint it delight!」。彼女の好奇心とか作品に対するアイデアみたいなものをテーマに作り上げたエレクトロポップ。VTuberサイドしぐれういの特徴であるふわふわした歌声と対照的に、ちょっとミニマル気味でアグレッシブな瞬間も垣間見えるサウンドメイキングが楽しい。
やっぱりこの曲でも「エンタメ」と「ポジティブ」が歌詞に表れているのが彼女の活動に対する姿勢だよなと感じる。フィクションの存在に必要なのは無駄なシリアスさや心配ではなく楽しさ、という一貫した活動への情熱だ。
はい。その通りです。めちゃくちゃ凄いことです。しかし活動初期に歌うことに対して苦手意識を持っていたのに、ここに「歌ってみる」という事柄が入るのが感慨深いねぇ…。
6曲目はMIMI提供の「二人模様」。絶え間なく跳ね続けるピアノの旋律が印象的な、どこか物悲しさが漂うピアノポップ。メロディラインもかなり躍動感溢れる作りとなっているが、やっぱり背後から切なさがのしかかってくるような感覚に襲われる。個人的にはアルバム内のアレンジメントで一番良くできてるのはこの曲かなと思う。勿論曲の進行によってダイナミクスは変化していくわけだけど、ピアノがかなり予測不可能な動き方をするのがめちゃくちゃ面白い。
この曲は未だに歌詞の解釈に困っている。歌い方的にはイラストレーターサイドからの視点の楽曲なのだが、楽曲提供のMIMI氏のコメントでは「イラストレーターとしてのしぐれうい、VTuberとしてのしぐれうい、どちらも大切なリアル」と語っている。それならこの曲の「あなた」が指す先はVTuberのしぐれういということなのか?活動を進めていくうちに徐々に乖離が進んでいく二人 (=しぐれういとしぐれうい) への悲しさ、って感じだろうか。
普段我々の前に姿を見せるしぐれういがここまで赤裸々に弱さのようなものを曝け出すことはないだろう。作品ではなく生きる人間であるイラストレーターとしての彼女のことは我々も全然知らないことだらけなわけで、そういう意味ではこの曲はリスナーの立場からは解釈のしようがないパーソナルな感情でもあるのかな、と思ったりした。
しぐれういのアルバムでは毎度お馴染み (毎度と言っても2枚目ですが) 電波曲のコーナーです。にゃるらとAiobahn +81による「ういこうせん」だ。まずタイトルの時点でリスナーはニヤリとすること間違いなしだろう、なにせにゃるら氏本人のコメントにもあるように「ういビーム」をひらがなにして「ういこうせん」というふざけっぷりだ。
それと相反するかのように流れ出すメロディラインは妙にセンチメンタル。それでうっとりしたのも束の間、「まだまだ腰振れ!届くぜ一億」と呼びかけるしぐれういの声で再び電波曲モードへと回帰。
まるでシンガロングを煽るかのような過剰にキャッチーなメロディ、バカかよと笑いたくなるくらい露骨な盛り上げ、そして待ってましたと言わんばかりに「うい!好き!ラブ!はい!」と怒涛のコール&レスポンスである。補足だが、この曲の合いの手にはIOSYSまろんとななひらの2人が参加。前作であの「ロリ神」を手掛け、しぐれういと電波曲を強く結びつけたまろんがここに参加している、というのもまた面白い。
歌詞についてはにゃるら氏本人によるライナーノーツがあるためこちらを参照していただければ、という感じだ。多くのオタクたちの読み通り、「ういビーム」とプロレタリア文学の名作、小林多喜二「蟹工船」のダブルミーニングによる「ういこうせん」だったわけだ。本作でVTuberしぐれういのキャラソン的な立ち位置の楽曲 (「うい麦畑でつかまえて」、「ういこうせん」) はサリンジャー、小林多喜二とどちらも文学作品からの引用が象徴的なタイトルや歌詞となったが、これは意図したものなんだろうか。
しかしながら、「しぐれういという存在はフィクションである」というコンセプトを提示した作品でしぐれういの存在を救いにするオタクを描く、というのはなんともアイロニックな話だ。逆に言えば虚像=エンタメコンテンツである、という自意識のあるコンテンツだからこそこうして救いを求められるのかもしれない。
8曲目はDECO*27とTeddyLoidによる「あいしてやまない」。長年にわたってボカロシーンの第一線でメガヒットを放ち続けてきたDECO*27だからこそ作れる、王道路線のキャッチーなメロディが印象的な一曲だ。アルバム終盤にこのどこか切なさも漂いつつアップテンポで突っ走るような曲を配置するのがまたニクい。Aメロの最初を全部喋りのパートにしたのはVTuberシーンで特大ヒットを放った宝鐘マリン「美少女無罪♡パイレーツ」なんかの影響を受けた感じだろうか。
この曲で注目してほしいのはなんと言っても歌詞だ。最初に聴いたときには「うい麦畑」と同じアルバムにここまで愛を剥き出しにした曲が…?と思ったわけだが、おそらくこの愛の向かう先はイラストレーターしぐれういだ。この曲はVTuberしぐれういがイラストレーターしぐれういを「あいしてやまない」一曲だ、というわけである。
いくらメンタルが強いなどと自称していても、作品でもなくエンタメコンテンツでもないイラストレーターしぐれういの人生の全てが「楽しい」という感情で構成されているということはまずあり得ないだろう。しかしVTuberしぐれういは「作品」としてこの世界に存在しているために、自身に関わる全てをエンタメとして昇華させることができる。活動を重ねるうちにVTuberしぐれういは一つの「作品」以上にイラストレーターとしての彼女の心の拠り所になった、という解釈だろうか。もしそういうことなら感慨深い話だ。
1曲目の「ハッピーヒプノシズム」はイラストレーターしぐれういがVTuberしぐれういを生み出す歌である、という解釈は前述したが、この「あいしてやまない」を以てVTuberしぐれういに命を与えたイラストレーターしぐれういはいつの間にか自分の生み出したVTuberしぐれういに支えられている、という双方向への愛が浮き彫りになった、というわけだ。
その解釈を踏まえるとこの一節はあまりにも感動的だ。イラストレーターしぐれういとVTuberしぐれうい、そのどちらもがお互いを大切な存在と思っている、という愛の深さが窺えるのがとても嬉しい。
そしてアルバムの最後を飾るのはいよわ提供の「勝手に生きましょ」。この曲は本作に収められたどの曲とも異なる異彩な世界観を放っている。それはイラストレーターしぐれういとVTuberしぐれういの2人の視線が両方描かれた曲である、ということ。これまでどちらか片方の視点から描かれた曲が交互に繰り出されるという曲順となっていたが、ラストを飾るこの曲を以てその二人が一曲の中で交わる、というのはなんとも感動的な構成。
ソングライティングもいよわワールドが炸裂。ピアノを主体に複雑怪奇だけどポップ、というどこかアブストラクトな音世界。中盤からドラムンベース的なビートが楽曲を彩るのもたまらない仕掛けだ。また、以前名取さなに「パラレルサーチライト」を提供した時も感じたが、VTuberをはじめ肉声のボーカリストに楽曲提供する時のいよわは、自身のボカロ作品で見られるメルヘンチックな世界観よりもかなり地に足の着いた演出にするような傾向があるように感じる。フィクションとノンフィクションの両面を描く、という本楽曲のコンセプトを踏まえればこの方向性は大成功だろう。
この曲は一番ではイラストレーターしぐれういが、二番ではVTuberしぐれういが順番に歌い、後半になるにつれそれが絡み合っていくという構成。
一番と二番の歌い出しの部分を抜粋したが、イラストレーターサイドでの願いが自分に対してのもの、VTuberサイドでの願いが他人に対してのもの、というのが対照的。ここではこの二つが別々の存在である、ということを明示するかのような書き出しだ。
こちらは二人がデュエットする後半の部分。ここでの願いは先述した二つと異なり両方のサイドに共通したものだろう。
誰かの生活や人生を彩りたい、という双方に共通した願いが、この二つの存在は別々であるようで表裏一体だ、という事実を浮き彫りにしていく。それに呼応するかのように二人のしぐれういが同じステージで歌う。
そして二人が同時に歌う「かがみあわせで一回転」という一節。これまでそれぞれ一方向からの視点で描かれ、別々の存在であると表現されてきた二人が表裏一体のような存在である、ということが歌われる。
この部分の歌詞がまさしくその象徴といった感じだ。「誰かにとって」と歌うVTuberしぐれうい、「私にとって」と歌うイラストレーターしぐれうい、と異なる二人がいるということを書きつつ、後半二行でその二人の立ち位置を明確に表現している。
そして最後のフレーズで彼女はこう歌う。イラストレーターとしてもVTuberとしても「好きなこと全部やる」というモチベーションで生きる彼女を象徴するようなワンフレーズだ。フィクションとして生み出された物語は、いつの間にかその生みの親すら互いに支える大きな存在へと成長し、この曲を以て現実の存在をフィクションとして演出している、と歌い切ったのだ。それは現実世界を生きていながらも自身を「作品」として演じることができる彼女の強さでもある。この上なく美しいエンディングだ。
以上全9曲、32分13秒。本人が「闇鍋」と呼ぶのも頷ける非常にバラエティ豊かな楽曲群が揃いつつ、32分というコンパクトなサイズ感によって聴きやすさも兼ね備えた一枚に仕上がっていた。アルバム全編を通してしぐれういという一人の作家・作品を描くというコンセプトも筋の通った作りとなっており、曲順や構成まで深く練られたアルバム作品としての完成度も相当レベルの高い作品だと思う。また、もともとアルバムという概念が希薄な上に、ストリーミング時代の影響などで楽曲単位で音楽が評価されがちなオタクカルチャーにおいてコンセプトアルバムを作り上げた、という功績についても高く評価されていい作品なのではないか、と思う。
冒頭でも書いた通り、現在のVTuberというコンテンツにおいて「フィクション」という言葉は禁句となり得る。そんな最大級のタブーでもあるワードをアルバムタイトルに冠したこの作品は実に大胆不敵な一枚だ。自身のことを「作品」と称するVTuber活動、イラストレーターとVTuberという二足の草鞋を履いた活動など、他のVTuberらと異なる視点を打ち出せる彼女だからこそ描けた景色である。まさしく「しぐれうい」にしか作れないアルバム。
そして10月2日にはパシフィコ横浜 国立大ホールにてリアルライブイベント「SHIGURE UI 5th Anniversary Live "masterpiece"」が開催される。筆者は残念ながらチケット入手が叶わなかったため現地での参加はできないが、アルバム作品としてこれだけコンセプチュアルなものを作り上げた彼女はライブという場においても「イラストレーター兼VTuber」だからこそできるステージを作り上げるのだろう、とアルバムをリピートしながら期待して待ちたいと思う。