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復職・こころ|支えられながら、強がりながら、
noteを書けないでいた。
noteを読めないでいた。
忙しいという言葉は好きではないけれど、
忙しかったのかもしれない。
でもこうやって言葉にしてみると、
忙しさと言う言葉で蓋をしているだけのように思う。
ーーー
言うなれば、避けていた。
noteは心に触れるものだ。
noteを書くとき、自分の心に触れる。
noteを読むとき、誰かの心に触れる。
そして、自分の心が動く。揺れる。
私の心はいろいろな刺激を受けて、そう、避けようのない刺激にさらされていて、きっと、あっぷあっぷだった。息をするので精一杯。
毎日楽しみにしていたnoterさんの記事も、更新されているのは知っていても、何となく読めないでいる。読みたいけれど、読めないでいる。スキってしたいけれど、読めないでいる。
それはたぶん、直面するのが怖いからだ。
自分の記憶と重なるところがあるだろう喪失体験に。
この一週間、喪失と向き合うことを避けていたような気がする。
それはたぶん、我が子を亡くした喪失とも関連する、仕事における喪失が、私自身の中に落ちていなくて、それが苦しかったからだと思う。
復職しておよそ1か月、元々の予定日まであと数週間。
年度末と言うこともあり、仕事を振り返らざるを得ない機会が多い。自分のいなかった2カ月間、私はその間のことを振り返ることなんてできないのに、その時期を含む振り返りを要求される。
無理だよ。
亡くなった我が子との思い出が増えないのと一緒。
いなかったときの仕事を振り返ることなんてできない。
穏やかに流れる時間の中にいたけれど、少しずつ社会の中に戻ってきて、まわりも少しずつ、私がいることが当たり前になっていって。そうなればなるほど、自分の中でうまく一緒に過ごせていた喪失感が、うまくおさまらなくなっていく。そして、やりたかった仕事だって失ったんだと、仕事における喪失に強く気づかされる。
職場にはとても頼りになる人がいて、私はすごく助けられている。私より私を理解して、無理をしないで済むようにとフォローしてくれる。声をかけてくれる。本当にありがたいことだ。
そうやって支えられながら、そして強がりながら、日々を生きている。
なんてことない大丈夫、なわけあるかい!と思いながら、どうしようもない人たちのどうしようもない言葉や態度にも、動じていないかのように日々を生きている。
もう少し落ち着いたら、noteを読もうと思う。