変哲もない道をドラマにする彼女たち
大学生くらいの女の子が,友達と自撮りをしながら歩いている。なんてことはない,ただの道で。
彼女たちには,この変哲のない道もドラマなのだ。
どうも私は,どうにも悩みすぎる傾向にある。
一度気になり始めると,同じところをぐるぐると気にし続ける。同じところをぐるぐるしていたって,何も解決するはずもなく,どうすれば良いのかわからないまま,落ちるところまで落ちる。
禅の逸話の中に,こんな話があるそう。
曹洞宗の和尚さんの話。豪商が困っていると相談に来て,色々話すのだけれど,虻が気になってしょうがない。障子にぶつかっては落ち,しばらくするとまた飛び始めて,障子にぶつかる。障子には穴が空いている箇所があるのに,その穴には気づくことなく,ただひたすらにぶつかっては飛んでを繰り返す。豪商は虻が気になるのかと和尚さんに聞くと,和尚さんはこう答えた。
ーいや,人間と同じだなと思ってね。同じところからしか物事をみないから,いつまで経っても解決しないのだよ。
私の悩みは,他者の言葉を気にすることから始まることが多い。
いろんな人がいろんなことを言うから,好き勝手言いやがってと思ってしまう。だけど,そんなのは当たり前である。みなが自分の人生を生きているのだから,自分の好きにする。全人類を気にしていたら,誰も何もできなくなってしまう。
ああ,気にすることはないのだ。
その人の言葉をどれだけ解釈しようとしても,その真意はわからない。
いつだか「たぶんそいつ,今ごろパフェとか食ってるよ」なんて話題になったが,気にしているのは自分だけなのだ,きっと。今,私の中でぐるぐるしている言葉を言った彼は,もうその言葉を忘れたかもしれない。よくイライラしている彼女は,他のことにイライラし始めているかもしれない。
私にはなんの変哲もない道だけれど,彼女たちはドラマを作っている。
同じ道でも,ドラマにできるのだ。同じ出来事でも,解釈次第なのだ。
いつもの帰り道,私も自撮りをしてみようかな。