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真面目と不真面目、ポジティブとネガティブ マーブル模様の世界


私は不真面目よりは真面目な人間だ。(自覚として多分)

そしてポジティブよりはネガティブな方だと思う。


ただし、これは常に一定ではない。

あっちへ行ったり、こっちへ行ったりを繰り返しながら、日々生きている。

なので、人の精神状態とは常に一色では無いというのが持論なのだが、その説明として大きな軸にできるものが何かないかなと探していた。

最近色々な人の意見を聞いたり読んだりする中で、気付いたものがあったので表してみたい。



1、対比と交差の4つの視点

上の図は、人が何か行動している時の、心の状態を簡単に区分けしたものである。(もちろんこれで全て区分けできる訳ではない)

冒頭で述べたように、私が何か行動をするとき(orしている時)の精神状態は、この図のあちこちを行き来している。


言葉の中身としては、以下のような要素が付け加えられる

真面目:論理的、思考時間(長)、固い、硬直、緊張、努力、真剣
不真面目:直情的、思考時間(短)、緩い、軟い、緩和、甘え、面倒臭い

ポジティブ:楽観的、自信あり、大胆、外向
ネガティブ:悲観的、自信無し、慎重、内向



2、世の中で評価されるもの


これまで、社会での様々な経験を通して考えたのだが、現在他者から最も評価されるものは、「真面目」か「ポジティブ」な姿勢(若しくは両方)ではないだろうか?

しかし自分自身を振り返れば、ずっと「真面目」かつ「ポジティブ」な部分だけに特化して生きていくことはとても困難なことであることがわかる。


やらなければならない課題があるのに、やらないでダラダラと過ごすことは何度もあったし(夏休みの宿題は8/31にやるパターン)

いつも「明るく」「元気よく」(通知表で言う明朗快活?)いられるわけではなく、病気になったり、自信を無くしてグチグチとやる気の出ない想いを抱えていることはしょっちゅうである。


私は自分のこういう“弱い”とされる部分を自覚しているので、他の人も全員がプラスとされる要素だけ持ち合わせているわけではないことを知っている。

さらに言えば、全員が常に「真面目」かつ「ポジティブ」な人間になりたいと思っているわけではないことも理解しているつもりである。


だが同時に、「真面目」かつ「ポジティブ」な人間を評価する気持ちも理解できる。

明るい人といた方が気が楽になることはよくあるし(自分がネガティブだから尚更だ)、真面目な人間が評価された方が、その努力に報いてやれていると思えるので。


つまりは対人関係において、どんな人もどちらか一方だけではない、全部が合わさって一つの人間を形作っているという受け入れ方を常に心に留めておきたいと考えている。

なぜこのように考えるに至ったのか?



3、「誰かのために」を考えた時


ここからは、これまでの己の行動を踏まえた反省文である。


今まで私はボランティアで、自分のNPOだったり社会や家庭に居場所が無いと考えている人のためのコミュニティスペースのスタッフとして関わっていたのだが、

そこで悩みを抱えた人たちに対して出していた回答は、いつも「真面目」に考えたもので、かつ「ポジティブ」になってほしいと願っていることだった。

しかし冷静になって考えてみれば、それはこちらが考えた”理想の押し付け”となっている場合もあったのではないかと思っている。


人を形作るものは全ての要素が混ざり合わさって出来ているというのは、散々これまで述べた通り。

他者のためと言いながら、その人がマイナスと感じているものを同じくやんわりと否定して、プラスとされることのみを肯定するように仕向けていたのではないだろうか?

社会が求めているものが、自然と自分の常識になってしまっている時点で、始末に負えない。

これに気付いた時は割と愕然としたし、ある意味納得もした。

意識が高く、綺麗に整えられた言葉だけでは足りないのだ。


決して強く意見の押し付けや正しさを主張しようとしたわけではないが、

実のところ、悩みを持った人と言ってもその段階は様々であり、そうした背景やその人がこれから辿るであろう思考の移り変わりも考慮するべきだったと思う。


私が本来肯定すべきだった物は、「真面目だったり不真面目だったり、ポジティブだったりネガティブだったり」そう言った物をすべてさらけ出した上で、生きるということであったはずであろう。

ここに来て、まだまだ至らない点が多いなとようやく気付かされた次第である。



4、変化する日常


自分のエンジンが何も掛かっていないニュートラルな状態は

「真面目」かつ「ネガティブ」なものである。

そして、解決するのに時間が掛かりそうな面倒なことが起こると、思考時間は短くなってくるので「不真面目」かつ「ネガティブ」な状態へと移行する。(考えることが億劫な、投げやりな状態と言っていいかもしれない)

しかし、その後友人と会って遊びに行くなどの要素があれば、「不真面目」(弛緩した)かつ「ポジティブ」な状態へ変化するだろう。


ちなみに、今こうしてblogを書いている状態は「真面目」かつ「ポジティブ」な状態である。

そうでも無ければ、このように日曜の昼から頭の中を穿り回してめんどくさい文章を書いたりしないし(笑)、公開する段階でどう見られるのか恥ずかしくなって、結局書くのを止めてしまうだろう。


おそらく、他の人にとってもこれは同じことではないだろうか?

己のことを振り返ってみれば、1日の中で目まぐるしく状態が変化することも珍しいことではないはずだ。


これからは緩くてもいい、後ろ向きでもいい、そういうものを全て併せた人間関係の理解の仕方と言う物を深めていけたらと考えている。




と、ここまで真面目に書いてみたが、終わりを意識したら気が抜けたらしい。

冷静になってみれば、今の恰好はパンツ一丁に肌着という布団に直行の寝巻スタイルなので、適当に緩さも受け入れておけばいいんじゃなかろうか?╭( ・ㅂ・)و̑ グッ


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shingo hiraga
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