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余白を意識する年に

新たな一年がスタートしました。
世の中的には本当に不透明で何が起きてもおかしくない状況下にあります。
技術革新による日ごと変化するライフスタイル、そんなことへの警鐘かのような災害や疫病の蔓延、そしてやまぬ戦争と、ここ十数年はめまぐるしく価値観も変わっていっています。

10年以上前に何かに書いた言葉、「必要無駄」。
今では誰しもそんなニュアンスの言葉は聞くようになったかと思いますが、読んで字の如く不要にみえて本当は大切なもののこと。
当時は、モノについて強く書きましたが、今はモノに留まらずコトにも感じることが多くなりました。
オヤジのタワゴトの代表みたいな話しではありますが、綴っておこうと思う。

「何のために生きているのか?」という議題は誰しもの永遠のテーマ。
「生」が有限である中で何を経験し、体験するのか?
ここで前置きしておきたいのは時間を大切にということではありません。
時間なんてものは誰しも大切にしなきゃいけないことは頭ではわかっている。それを意識し過ぎて生きることもまた苦しいもの。
やっぱり忘れたい時がほとんどなのかもしれません。

人間は何かに没頭する(できる)ことで何かを忘れることができる。
SNSにゲーム、アニメなどは身近にあるその最たるモノ。わたしはどれにもほとんど興味がないので逆によくわかるのですが、多くの人たちがそれらに大きく時間をさいているようにみえる。
その時間は他の時間をも圧迫し、「時短」なんて言葉まで生む始末。
その倍速も回り回って承認欲求に繋がっていたりもするから厄介だ。

子供の頃に徹夜でゲームをしたくらいの経験はあるので、そういった時間の経過の速さは体感している。もちろん今の自分自身にだって心当たりもある。
故に時に恐ろしくなる。
部屋で過ごす時間はもとより、空いている僅かな時間まで常に没頭している人も少なくない。この埋めていくような作業は未来にも大きな代償を背負うやもしれない。
そして人生はあっという間、あの時のように・・。

世の中、何もすることがない時間から生み出されたモノも多いに違いない。
実際、散歩の時間を発想の場にしている人も多いようだ。
空いた時間を単に「暇」としてしまうのはもったいない。例え頭に何も降りてこなくても、時間の流れを元に戻すための時間にはなるはず。
意識がなくなるような時間も大切だけど、ボーっと意識する時間はもっと大切。
そういった人生に散りばめられた小さな余白をもっと意識する年にしていきたいと思います。

普段、皆さんとは自らのブランド( 洋服 )というモノでつながっている訳ですが、わたしのやっているモノはコトを大切にするからこそ生まれると自負しています。
そんなことの諸々が共有できる人とこれからも深く関わっていきたいし、そんな方々がこの記事をいつも読んで頂いているのだと感じています。
皆様にとって良き時間が流れる一年でありますように。

日頃よりさまざまな応援やサポートをいただき本当に感謝致しております。
ご返答、ご返信の方法がない(わからない?)のでこの場を持ちましてお礼申し上げます。

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