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プリントTのちょうどいいところ

どんな人でも一枚や二枚はプリントモノのTシャツをお持ちかと思います。

うろ覚えですが、Tシャツなどにプリントなどを入れるようになったのが1950年あたりだったかと記憶しています。
もともとは所属しているチームや学校、後には企業名や商品名などに広がっていったのだと思います。
アイビーリーグのカレッジモノは特にポピュラーで、古着の代表格です。
その他、人気はあまりないもののジュニアハイスクールやボーイスカウトものもよく見かけましたね。Tシャツの役割の一つでもあるチームの統一をはかる目印なのか、迷子防止なのか、はたまた指揮をあげる目的なのか?
古着屋でカレッジものを探している人にとっては指揮が下がるものであったのは間違いありません…。
我々日本人の学校指定体操着やジャージがそれにあたるものでしょうか、洒落たところは一つもありませんが、確かに"どこ中"かは一発で認識できたのは事実ではあります。

話しを戻し、企業が宣伝のために従業員や一般に配布したのも当時のアメリカのにおいがプンプンします。
特に70年代後半から80年代にかけては企業モノが結構ありました。
私自身、小学校時代の集合写真にもSONYウォークマン(発売時期)のTシャツを着た姿がバッチリとらえられています。買ってもらえもしないのに企業コマーシャルだけをしているという、何とも微笑ましい時代です。

あれから40年と時代が進むとスレたものですね、着るTシャツにも意味や意志を持つようになります。
それが純粋にメッセージの場合もあれば、この人を応援したいという気持ちの時もあったりします。そんなことも含め自分らしい選択がTシャツ選びの基準になっています。

決して小難しく考えているわけではないですが、夏に着るプリントTシャツくらい意思を感じていたい。
それはファッションであって、ある意味ファッションではない。
軽いノリのようなものだからこそ、軽く考えない。
それを着ているからといって世の中が変わる訳ではありませんが、ただ何となくそう感じるのです。

また、プリントTのボディも作り込み過ぎるとリアリティがなくなるような気がしています。
昨年はオリジナルのボディを作成しました。着心地の良さやサイズ感は追求できるのですが、プリントTシャツに限っては本当にそれが必要なのか、、と最近思うようになったのは事実です。
昔から存在するGILDANのようなアメリカらしく、安価で程よい肉感、程よい雑味が一番プリントTらしいのではないか。

あとはいかにしてサイズ感を調整してやるのかだけ、Tシャツで意外と見落としがちな身幅を優先してピックし、長い着丈を我々の縫製背景を使って丈を詰め直す。 

わたしの思うプリントTはどこまでいっても綺麗なものでは決してありません。
格好良いプリントTシャツって、少し未完成な部分があるからこそ、内容に奥行きが出るのではないかと思うのです。

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