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いつも節目に我に問う

ある人がモノづくりをはじめた。
少しずつそれは評判になっていった。
作っても作っても足りなくなってきた。
アトリエを大きくしてお店もできた。
売ってくれる人を雇った。
お店も繁盛して少し規模も大きくなった。
制作を人に任せるためもう一人雇った。
たくさん声がかかり出店もしていく。
新しいスタッフも増えた。
新しいお客さんも増えた。
でも初めた頃のお客さんはもういない。
売行きが鈍ってきた。
よりわかりやすいモノを作ろう。
もっと買いやすい価格にしよう。
売上はなかなか戻らない。
またあの頃のように一人で作ることにした。
何を作ればいいのかわからない・・。

どこにでもあるような、昔話のような、そんなお話し。
読んでいる人がどこに違和感を感じるのか?

世の中にはたくさんの商品やサービスがあり、お商売の形も同じではない。
どんな形であれ「これをやりたい」という気持ちが大切であり、そんなものの上に人は魅力を感じるのであろう。

これは青臭いことなのか、理想論なのか・・。

確かに、売り上げを伸ばして、人をたくさん雇用することはビジネスの基本であるのは重々承知している。
ただ、今この時代を見ているとこのセオリーにだって疑問符が残る。

世の中で" 売れた "とされた時に動いているのはもう「モノ」ではなく、単なる「ブーム」という時代。
最初に目をかけてくれたお客様は何に賛同してくれたのか?
そもそも、" 売れた"というところに向かうことだけが正解なのか?
" 売れる "ことに憂う必要があるのかと言われればその通りだけど、売れることの怖さがあるというのも事実。

何にせよ、見失わないことだ。
悲しいかな人間は、自分が今どこに居て、何をしたかったのかさえわからなくなってしまうもの。
いつも自分自身を見張っておかなくてはいけないのだ。

毎年この大晦日は、今年の反省をするでもなく、来年の抱負をたてるわけでもなく、ただただ自分の立っている場所の確認をするのです。

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