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再掲「すべての犬は天国へ行く」 2015.10.03 ソワレ

昔のブログ(削除)に上げていた感想を再掲したいと思います。乃木坂46のメンバーが出演した舞台「すべての犬は天国へ行く」の感想です。いま、読み返してみると、恥ずかしさしさしかありませんが、そのことも含めて。

乃木坂46の恒例企画「16人のプリンシパル」が今年は中止というか、企画がなくなっているので、その代わりなのか、13thシングルの福神以外のメンバー(伊藤、井上、生駒、桜井、松村、若月)+13rhアンダーメンバー(斎藤、新内)で、ケラリーノ・サンドロヴィッチが書いた戯曲「すべての犬は天国へ行く」を上演することが決定しました。

プリンシパルの即興性はいい経験になるのと同時に、去年の内容を見ると、何のための選考システムなのか?特に人気だけで決まったりする部分は、「演劇」という意味では微妙だったし、すべてのメンバーがその志向を持っているわけではないので、この判断は良いのかなと思っていました。

で、実際、取り組むことになったのは「すべての犬は天国へ行く」です。ケラさんが演劇活動を始めて15周年の節目で、ナイロン100℃の公演作品になっています。当時からナイロンで活躍されている犬山さんとか村岡さん、峯村さん、松永さんといった方々に加えて、戸川純さんが出演されています。

さて、、、当時の話はそれくらいで、今回の乃木坂メンバーの舞台です。3日のソワレに行きました。もう一回11日のソワレに行きます。普段だと二回行くことはあまりしない(一回の新鮮さというか、その印象を大事にするので)のですが、今回は好きなケラさんの戯曲を乃木坂がどう演じるのか?という期待値が高くて、二度行くことにしました。
ここからが感想です。ネタばれあります、なので、これから見に行く方が万が一、この文章に目を通すことがあれば、スルーしてください。

以前、ケラさんの話にもあったと思いますが、今回の「犬天」は有名なベケットの「ゴドーを待ちながら」をモチーフというか、ベースにおいた部分はあります。村から消失した男性を、村でひたすら待つ女性たち、、、この男性が「ゴドー」という位置づけです。演劇ファンならご存知ですが、このゴドーを待つウラディミールとエストラゴンは、終わりがくるかわからない繰り返しを過ごすというものが描かれています。今回の「犬天」はその繰り返しを女性たちが「意図して」過ごすことで、安定を無理やり保ち、少しずつ「狂っていく」日常の中に、部外者であるエルザという女性ガンマンが来たことで崩壊していくさまを描いています。
ストーリー自体はこういう「ゴドー」などの知識があると、より理解というか世界観がつかみやすいのかもしれません。
登場人物は、舞台上でも女性・もしくは男装した女性が劇中で生きるという状態です。女性たちは男性たちがこの村に戻ってくることが無いことを知りつつ、そしてこの村から出て行くことも出来ず、あるいは出て行くと殺されているという世界のなかで、日常を過ごすことを選択しています。狂気の中で過ごす日常は、ほころびがでると、その均衡はたやすく崩れます。殺し合いが始まり、最後は主要な人物のほとんどが死に、少年(の格好をした女子)が殺されて、生首をさらすシーンでエンディングを迎えます。
ストーリーは非常に楽しいというか、個々の場面での人物の動きをどう推理するというか、想像をめぐらせるか?という面白さが多くありました。なぜそうなるのか?という感覚は、こういう世界観のストーリーの面白さですね。
さて、出演者についてです。
はっきり言えば、乃木坂46メンバーの大体が「努力賞」以上のものには、3日の時点ではなっていません。がっかりというか、稽古の日数が少ない、練習にも「影」が多くいるという話を聴いたので、正直ここは乃木坂46LLCという運営会社の甘さだと思います。結果的に演技力などに疑問符が多くついています。この感覚は、おそらく乃木坂ファンからすると「?」かもしれませんが、演劇サイドからみたら、そういう評価を3日の時点ではせざるを得ません。Twitterなどでも井上小百合、桜井怜香が好演といわれていますが、残念ながらそこまで高い評価はないなというのが正直な部分です。下手では無いです。でも「上手い」と言われたら、そこまでは褒められない人が多いという評価です。
井上さんが今回の主役にあたるエルザです。がんばっているとは思います。ほかのメンバーもそうですが、アイドルが特に舞台で演じるときは、基本そのアイドルが「消える」くらいな部分がないとだめだと思います。残念ながら井上さんは完全に「井上さん」がそのまま残っていました。台詞回し、所作などから見ても、井上さんのまま。それはほかの乃木坂メンバーも同様で、稽古という部分の大きさを改めて実感します。ボケに対するリアクションも、NOGIBINGO!で見せる動きと変わらないというか、そのままなんですね、、、大事なのは「エルザがこの茶番劇にとりこまれつつ、均衡を保とうとする様子」をどう見せるのか?ですけど、なかなか難しい。
桜井さん、医者の妻です。後半は医者の妻が狂って、その医者に男装して、売春婦を買いにくる。最後は生駒さん演じる頭の弱いメリィにいたずらしていたことが、母親にわかり、その母親に銃殺されます。前半の妻の役は、夫を探す妻を定期的に繰り返し演じるわけですが、ここは桜井さんの天然さや明るさがうまく作用したと思います。前半はちょっとした空気を和ませる雰囲気も含めてよかったと思います。若干、彼女は顔が下がる癖というか、台詞のときに首が傾く癖が見受けられるので、舞台をやるなら修正したほうがいいかなと。指摘されていないのかな、、、問題は後半です。医者に男装した妻という狂気が表に出た状態になるわけですが、、、普通なんです、まったく狂っていない。ただ桜井さんが男装している(乃木塚状態)だけの演技になってしまっている。ここが残念。夫の行動というか、それをなぞることで空白を埋めようとするわけですが、その妻の狂いが、演出家の意向なのかどうかもありますが、完全に隠れてしまう。松村さんとのシーンが話題になっていましたが、あそこもいやらしさがまったくでないので、残念なところではあります。前半のうまさが後半で消えてしまった感じです。評価の高い伊藤万理華さん。クレメンタインという意地悪な役です。メリィのかわいがっていた犬をその母親に殺させたり、売春の様子をのぞくなど屈折した部分を覗かせます。ただ医者には惚れていたので、その医者の妻にも擬似投影することになります。最後は自殺?します。デボラがなぜ疑問に思うのか?はこの部分ですが。伊藤さんは声質がこの役に合っています。きつめな台詞を言う感じがあっています。背が低いのと手足が短めなので、動きが小さく見えてしまうのは残念。目の動きなどは、感情表現とか、その感情をぶつける対象への意図とかわかりやすくしている努力は伺えました。役柄なのか発声の最初に力を入れすぎなのは演出でしょうか?ちょっとしつこいなあと思うときはありました。最後の自殺というか、そこにいたるプロセスでの感情の起伏がやや弱いというか、怒りだけを見せているので、そのあたりは伝わりにくい演技になってしまいました。
若月さん、演技経験は一番豊富というか、安定です。村から出て行く女性を殺す役です。若月さんがこの役なのは、たぶん彼女なら最初に狂気を見せてもうまくこなせるからだと思っています。ほかのメンバーには難しい。若月さんは最初にこの村で、その狂った平衡を垣間見せる役柄です。舞台という場所でのリアクション、表情、意図的なわかりやすさ、そういった部分の上手さは十分に伝わります。いかんせん、出番が少ないというか、狂った部分での見どころが少ないので、その辺りは残念です。生駒さん、メリィ役です。少し知恵遅れですが、母親と一緒に村人を殺している役柄です。生駒さんにはこの役以外はないなあと思っていました。で、、、やっぱり生駒さんになってしまいますね。表情だったり仕草だったり、引き出しが少ない。井上さんもそうですが、多分、演技以外にいろいろな世界観に触れるということが少ないから、どうしても見せるものが画一的になりやすい。マリネを殺す瞬間の無邪気さはよかったと思います。新内さん、売春婦ですが、まあ年齢っていっても24歳とかなので、引き出しが、、、っていうのも微妙です。でも一番努力しているって感じです。村を出ていこうとするときの若月さんとの会話は、いいテンポでしたし、優越感を感じさせることができていました。まあ、彼女もすぐに新内さんに戻ってしまいますが。彼女はプリンシパルでもそうですが、リアクションがうまいので、経験積んで欲しいですね。問題はというか、残念な二人が松村さんと斎藤さん。特に斎藤さんは厳しかった。ガスという役での彼女が見せるべき、怖さとかが全く出せていない。愛嬌はわかります。でもガスが最初に手下に殺されるには、ガスが怖く見せていて実はポンコツという図式が成立しないとダメなんですが、、、あの演技力と喋りでは現状、舞台は斎藤さんのフィールドには向いていないと思います。松村さんはまずセリフに抑揚がつかないと難しいです。彼女は関西弁なので、標準語をしゃべるときに、どうしても言葉を選ぶのか、ずっと同じトーンでしゃべります。セリフが台本読みと同じ状況になっていて、言葉になっていないところが厳しい。あとは二人共舞台上での動きをもっと意識したほうがいい。井上さん、伊藤さん、桜井さん、若月さんはそこは理解している。手足の動きや、首の傾け方やら、、行き着くところ稽古不足という結論なんでしょう。最終的に生き残るエリセンダやデボラが乃木坂メンバーでないことが、一番の残念さ。その配役は今回リハの期間も入れると、回せなかったというのが現実なんだろうと思います。まあ首を切るという行為含めてアイドルとしてどうか?という向きもありますが、それなら最初からこの戯曲をやる意味がない。周りの猫背さん、山下さん、東風さん、鳥居さん、ニーナさん、柿丸さん、うまくフォローというか回していたと思います。彼女たちのおかげで、この舞台は破綻なく動いていると思います。猫背さんの細かい仕草とか、学ぶべきところは多いです。

最後に、、、こういう感想を書くと大概「アイドルとしてよくやっている、絶賛」というスタンスなのか、自分のように「努力賞レベル」という視点と別れることが多いし、乃木坂ファンサイドはほとんど圧倒的に前者です。いい、悪いではなく、演劇をずっと見てきている自分とすれば、これをきっかけにもっと勉強して見てほしいと思います。アイドルがあんなことをやっているは、コントに出ている話と変わらない。舞台は本来、その役柄がステージ上で生きていないといけない、だから演じる個人が舞台に投影される演技は評価されない。そこが今回「努力賞」と思う理由です。若月さんはそこはうまくできそうだった。伊藤さんもラストまではうまかったし、桜井さんも前半は良かった。それはやっぱり経験の差だし、理解の差だと思います。難解とまではいきませんが、確かにわかりやすさはないと思います。でも、人が狂った世界でいきていくことのくだらなさだったり、そのバランスはたやすく崩れるという批評性みたいなものも含めて、戯曲の持つ世界観にも目を向けてくれると良いかなと。どうにもアイドル頑張っているという評価の話だけが出てくるのは、勿体無い。

とまあ、こんな記事をブログにエントリーしてました。なんと傲慢な自分への反省も込めて。そして、このタイミングで「のぎ動画」にこの舞台が配信されるということもあって、すでに閉鎖したブログの記事が一部残っていたので、再掲しました。

この作品、今考えても乃木坂46というアイドルグループが、演劇というフィールドにかかわった中で非常に大きなポイントだったと思います。

このあと、井上さんは卒業してシスカンパニーに所属する、伊藤万理華さんは根本宗子さんの作品に出演する、生駒里奈さんはこんどKERACROSSに出演、新内さんは「熱海殺人事件」、若月さんも年末の本多劇場での作品に出演したなど、演劇フィールドにおける足跡を残し始めたひとが多くいます。ファンの間ではすでに神格化された感じもある作品ですが、完成度は別としても、この時期の乃木坂メンバーならではの作品を味わうことができるのは、ありがたいことだと思います。

自分は若月さんのファンなので、このあとも若月さんの出演舞台は見に行くようにしていますが、またいろいろな舞台で見ることができればありがたい限りです。

(追記)

二度目に見た後の感想も残っていたので、そっちも付け加えておきます。

「すべての犬は天国へ行く」 2015.10.11 ソワレ

前回の10.03のブログを読んでくださった皆様、ありがとうございます。ニーズがあるかは別として、10月11日(日)のソワレを見て、一回目では見えなかった部分だったりしたことを簡単にまとめておこうと思います。
このあと、ナイロン版をDVDで見ますが、比較論はやめておきます。もちろんそれも面白いとは思いますが、演技論になってしまうのは、ちょっと厳しいので。
さて、まずはメンバーの演技について。
生駒里奈
「メリィ」が彼女に一番の適役であったことは衆目一致だと思う。自分は「引き出しが少ない」と前回、表現しました。二回目を見て、演出の一端として生駒さんが普段見せるしぐさとか動きがそのまま舞台での動きになっているんだなと、少し見方を変えています。これはほかのメンバーの演技にも言えるのですが、この方針は多分に稽古不足という話にも行き着くかと、、、。逆を言えば、生駒さんの持っている表現力の範疇で収めることが出来たともいえます。芝居を成立させる上では、良かったと思います。物足りないのは、やっぱり生駒さんが今まで持っていなかった表現力で「メリィ」を見せることが出来ればよかったのかな?という部分です。だから生駒さんの世界に無い、一幕ラストの「一緒に埋めてあげる」が無邪気さと狂気を垣間見せるシーンとして、印象に残るんだと思います。
伊藤万理華
クレメンタインという意地悪な役は、伊藤さんの演技力でかなり一本筋の通ったものになっていました。前回、発声の件を指摘しましたが、性格の悪さとかと意識させるために、意図的に抑揚をつけているのかな?と思いました。でもだとしたら、伊藤さんは声質が若干通りにくいのと、さ行が聴きにくいときがあるので、もう少し演出で工夫しても良かったかなと。一本調子になっている感じがします。ただ、すごく舞台上での表情などは工夫していて、大好きなボレーロ先生(に扮したキキ)への表情とか、目の動きなどは、クレメンタインの一面性を感じさせることに成功していました。それだけに意地悪な部分の一本調子が続いて、最後のメリィを殺す場面からの自殺(?)はその感情の動きがつかみにくいままになってしまう。あの場面は伊藤さんの問題だけではないかもしれませんが。その部分はもったいない部分でした。メリィを殺したのは、メリィがあの「空虚な村」で生活するには、母親エバの存在が不可欠で、その母親がいない状況では、メリィは「天然の狂気」以外の生活しか出来ない。そういう意味でも邪魔だったのかな?と。でも我に返って、自分が嫌気が差してきていたこの村の状態に戻ろうとすることが嫌になって、命を絶つ(?)なのかな、、、勝手な解釈、ちらほら出ますが、まあそのあたりに正解は無いので。
井上小百合
エルザですが、TL上でも賛否少なからずあって、「井上さん」のままという意見も散見しました。自分も3日の時点で同じ指摘をしています。声がずっと同じトーンだからかな、、、?とはちょっと思いました。あとは村の住民に矛盾を含めて突っ込みいれる間合いや表現が、多分乃木坂での井上さんと違いが無いからでしょうか。後者は二回目を見て、仕方ないというかそこまで作りこめるのは難しいなあと。完全に作り上げる必要があるので、そこまでの余裕は無かったかもしれません。そうかんがえると、やっぱり井上さんの演技力でカバーできた部分が大きくて、その上でエルザが出来上がったかなと。前者の声のトーンは、声質もあるので難しいですが、多少は改善できたんじゃないかなと。「よそ者」、「村に取り込まれたエルザ」という違いは工夫次第で、エルザの多面性を見せることができたので、そこは惜しいところ。最後のビリーとの対決は、声の感じ、しゃべりのトーンも変化がついていてよかったと思いますが。あそこまでは「よそ者」というスタンスでの演出なのかなと。
斉藤優里
ガス役ですが、まあ実際TL上でも「非」という内容が少なからずあったと思います。現状での彼女のフィールドではないという表現を自分もしましたが、やっぱりちょっと大変だったろうなという印象です。それは「怖いはずが、実はただのポンコツのガス、でも怖さは一応見せる」という図式にうまくはまることができていなくて、「ポンコツで実はいいやつ」によりすぎているからです。ガスの所作はポンコツでいいと思います。痰壷周辺も半分はお笑いネタですから、あの演技でも問題は無いでしょう。手下が怖がるシーン(てんぷらは、ネタですが)、グルーバッハにナイフを突きつけるシーン、このあたりで瞬間的に切り替わらないと「怖さ」が無いままガスは殺されてしまいました。最初、あそこは婦人が本当に怖がる図式と認識していましたが、二回目を見て印象が変わっています。怖さはあるけど、ガスの本性を知っているから、多少の余裕と、婦人の「この村に悪いことは起こらない」という盲目的な信念(というか狂気)の裏づけで、完全に怖がってはいない。でもガス側に怖さは必要で、そのあたりがポンコツの勢いのまま、犬の死を悲しむ流れのままで演じているので、ガスのパートの手下の急変も意味が伝わりにくくなってしまいます。現状での斉藤さんのリミットだったと思うので、この経験が次にどこで活かせるのか?だと思います。
桜井玲香
キキ、ボレーロを演じますが、今回の出演者の中で抜けてTL上でも絶賛でした。二回見て、印象は同じで「うまさはさすが、前半のキキはうまい。後半のボレーロ(に化けたキキ)はいまひとつ」は同じです。前回、首の傾きの癖っぽい話を書きましたが、前半での演技を見ると、意図的に顔を突き出すしぐさが増えているので、演出も多分にあるんですね。あごのラインがきれいなのでいいのですが(笑)。前半のよさはやはりキキの天然さが、桜井さんの天然さの表現とマッチしていることが大きい。自然な雰囲気が伝わります。占いのシーンの山下さんとの掛け合いも、間の取り方含めてうまい。あそこは芸達者な山下さん相手に堂々たる芝居でした。後半のボレーロはやっぱり「なりきっている」にしては、男が出ていないし、狂っているにしては「狂気がない」ので、普通に男装の女子で終わった感じがもったいない。台詞回しも含めて、そのままいくって感じで決めたんでしょうね。表現が難しいし。やっぱり、クローディアとのからみでいやらしさがないのが、マイナスなのかなと。
新内眞衣
背の高さ、手足の長さ、舞台映えするはずですが、前半のカトリーヌは新内さんが抜け切らないまま、後半で出てくる「靴屋」はさらにもったいない演出でした。3日のときは、若月さんとのやり取りの場面はうまいなあと評しましたが、二回目に見ると、ちょっと物足りないというか、台詞自体に助けられている(ギャルっぽい言い回し)部分も大きくて、「この村から抜けたい」っていうスイッチの入った感じが、もうちょっと語気の強さだったりする部分から伝わるとよかったのかなと。後半の靴屋は、もっと残念で、真実を明かしたいという切実さがいまひとつ伝わらない。感情の一端が見えないのは意図的な演出もありそうですが、もう少し工夫があっても良いのかなというのが印象です。
松村沙友理
前回は斉藤さんと並んで残念と書きました。二回目の印象は、やっぱり標準語の台詞は彼女には難しいという結論です。声のトーンがずっと同じです。抑揚がつけられないので、波が無い。つまり感情も乗りにくい。クローディアの変化が見えにくいのはそこかなと。最初の父の自殺を探るのが、そもそも純粋な動機なのかも微妙ですが、その部分も単にリピートにしか見えない。壊れている側なのかどうかも見えにくいんですよねえ、、、後半父が死んでいないという変化も含めて「狂気の側」へのスタンスの変化は見えないし、彼女は「舞台に立つ」ことで大変だったのかなと。「じょしらく」のような等身大に近い言葉が乗る役でないと、今はまだ厳しいのかなと思います。
若月佑美
さて、一番評価が難しい。ただし下手ではなく間違いなくうまい。舞台に登場したすぐに、ステファーニャが放り込まれた倉庫にちらりと目を配るしぐさひとつとっても、彼女の舞台上での工夫や、観客に見せるための演技は、経験の多さがその表現の幅の広さにつながっています。やっぱり狂気を見せる入り口で終わってしまう役どころがもったいない。大事な役で彼女が最初に狂った住民の素顔を垣間見せるので、そのインパクトは若月さんならではのものが大きい。それだけにもっと舞台にいて、その狂気を見せて欲しい。役どころも「村から出て行く人への嫉妬」「狂気に生きることでのバランスを保つための殺し」みたいな部分がもっと引き立つといいけれど、そこまで深くは描かれていなかったので。
というのが、各メンバーの演技についての感想です。なが、、、、、
客演の皆さんはいずれもすばらしいというか、乃木坂メンバーが練習が少ない中で、客演の方々のおかげで緊張感が持続した部分は大きいです。個人的にはやはり猫背さんのうまさはピカ一でした。カミーラでもあり、ビリーでもある振る舞いはさすがで、特に最後のビリーの振りをしたカミーラ。エルザの告白と同時にスイッチが入るのですが、あそこの流れが良かった。エルザはビリーの娘という時点で、カミーラにとっては自分の世界を邪魔する存在だったから殺すという解釈をしていますが、あそこは逆にビリーというに見えてはいけない部分でもあるので、猫背さんのしぐさや声の出方がうまいなあと。デボアの鳥居さんは、やっぱり声が通りますね、さすがライブ経験豊富なだけある。役柄も狂言回しというか、この村の生活を一番うまく受け止めてる感が伝わってきました。最後の犬の声が聞こえるくだりで、急に狂気を垣間見せる変化はさすがでした。

Twitterで結構やり取りして楽しかったのは、エンディングでなぜリトルチビを殺したのか?とラストの解釈が「この村の生活の継続」なのか「終了」なのか?という部分です。
「リトルチビ」という少年(実際は少女)を着替えさせたことで、女性であることが、この村の「来ない人を待つ」という「狂気の連鎖」に取り込まれることを意味していると思います。エリセンダがチビを殺す理由に正解はありませんが、自分はチビは象徴でもなく「蛇」であって、死ぬことでそれでもなおかつこの村の「空虚な生活」は続くということを示唆しているのかな?とか思いながら見ていました。結構、「狂気の終焉」という意見も多かったみたいですが、自分は前回も書いたように「ゴドー」の世界観があると思っているので、待ち続けることでの虚無性みたいなものを描いているんだろうなあと思っています。エリセンダにとっては「蛇」は幻覚で見えるものであって、彼女の日常には存在しない。だから殺すことで、日常のバランスが保たれる、、みたいな。同時にあえてチビの死に何か象徴的なものを見出すとするなら「終わりの始まり」みたいなものかなと。すでに子供は何人かが肉屋で処分される村です。チビが死ぬということは、将来の大人になる女性がいない、つまりいま生きているエリセンダやデボラ、クローディアなどが、狂気の中で生き続けるということになる。歳を重ねることになっても、老いた人々が待ち続ける狂気に生きる、、、そして老いて死んでいく虚無、、、終わりへ踏み出していくという意味に取れなくもないです。
解釈はいろいろです、自分なりの答えを探してください。
多分、ほかにもどう受け止めればいいのか?は最後の犬の鳴く声は何?とかいろいろあるかもしれません。各自、自由に解釈していいと思いますが、ぜひ表面的な安易な流れだけを追わずに、人の心の変化だったり、業みたいなものだったり、戯曲世界が描こうとしている「その世界の人々の感情のゆれ」みたいなものに意識を傾けて考えて欲しいなあと。それが演劇の大きな楽しさのひとつでもあると思うので。勝手な解釈、ちらほら出ますが、まあそのあたりに正解は無いので。

やっぱり、自分の勘違いが目につくということは、よくわかった、、、、、

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