語れないものを語ろう
一体どういうことなのだろうか?
例えばである。
記述とは現象たりえない。
だが記述を指にすることはできる。
指の先に瞳を向ける端緒に。
NJM2043とMUSES8820
この二つがプリアンプとしての適性が高い。
のだろうか。手持ちの中では。
高音質は分かるよ。
OP275はまさにそれだろう。
でも2043の方が楽しいぞ。
芸術的なのも分かるよ。
MUSES8820だろう?
倍音が綺麗に出るのかな?
ドーパミンが出てしまって額がムズムズするよ。
それでも、2043を聴けば、楽しい、楽しい、楽しい。
発振してる?アニメがキンキンする?
2043のキンキンはただのキンキンだ。
分かる?8820のウザい刺さりとは違う。
もちろんアニメだけの話だ。なぜだろうね?
それに、BGMや伴奏が流れれば2043の圧勝だ。
凄いのはPH-A1Jだよ。
パワートランジスタの音を活き活きさせるのが、オペアンプの仕事なのさ。
この軽くて芯の深い音がそうならいいな。
整理しよう。
何事も上から下である。
つまり直感のベースとなる公理系を定義し直そう。
まずアナログ回路自体が一種の公理系だろう。
公理は関数である。
アナログ回路であるから、離散数理とは異なる振る舞いをするだろう。
例えば複素平面である。
これは時間因果で割れるから、まさにオシロスコープは複素平面の極めて簡便な言い換えの一つと言える。
ディスクリート回路とはまさに複素平面のランダム数を拡大させる愚行そのものだ。
その愚かで稚拙な手工業によって、アナログ回路はデジタル回路から無制限に遊離していくわけである。
況や稚拙なオペアンプなれば、これは稚拙さを担保するのが無能な客である。
無能が無能なりにより整理されたアナログ回路を無秩序な解に向けてぶち撒けてしまうわけだ。
何事もたまたま偶然が全てにして真理である。
だから無能がたまたま偶然面白い解を見つけてしまうかもしれない。
わたくしごととして、無能な筆者が無能にオペアンプを差し替えて遊ぶことで。GRADOサウンドをPH-A1Jの近似解から引き出した可能性があるかもしれない。
ディスクリートパワートランジスタ構成のパワー段が前段から分離して初めて、PH-A1Jに華が回ってくる。
だからだ、NJMの2043が、バチクソに、PH-A1JとGRADOに噛み合うのは、真理つまり偶然で必然性である。必然性を担保するのは偶有性つまり遊びだ。
当たり前結界ー。
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