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インターネットは社会を退化させている

 インターネットは社会を便利にしてきた。効率化してきた。世界を狭くした。これは今日まで繰り返されてきたインターネットへの賛辞の言葉です。しかし私のような若い世代からしてみれば、生まれたときから当たり前に存在したものなので、このように思ったことは一度もありません。それは、これらの表現は過去との比較によって定義される言葉だからです。

インターネットへの依存

ITサービスがあまりにも便利であることから、現代人は盲目的にインターネットを信じ込み利用し、依存しています。インターネットは自由です。誰もが情報もしくは感情を共有し拡散することができます。ただ今までのインターネットの存在しないいわゆる”世間”では自由に対し非常に重い責任がつきまといますが、現在の"社会"はあまりに広すぎる世界を極限まで狭めた結果、責任の所在だけがあやふやなまま自由が先行して、"便利"な社会になれたのです。なぜ"世間"における自由に責任があるのかという理由は明確で対面が必須だからです。顔は個人の身元を表す最強の手段で、それが特定されている状況で身勝手なことをするにはあまりにリスクが高すぎる上、叩かれやすいことは明確です。村八分という文化からも明らかです。

しかし、インターネットの基本定理は匿名であることより、身元はさらさずに自由にアクションを起こせます。つまり、どんな立場、境遇の人でもインターネットの世界では世界中の人と同じステージに立つことができるのです。これがインターネットの登場による社会の急成長の大きな理由です。この匿名性を批判することはナンセンスで、こんなものは議論の論点になりえません。ただこの匿名の”社会”があまりに楽しいし、人間の欲望に正直なので現代人は自分のアイデンティティを求めるようになったきた。これが退化の一歩です。

自分とはなにかという一生つきまとう命題にたどり着くことが人間的に生きることです。しかし、それにたどり着けないのでインターネットに依存してしまうのです。この結果、インターネット上の自分が自分であるというのが現代人のアイデンティティになったこれが退化現象の一番大きなものです。

なぜこのように思うようになったかというと、人と人とのつながり、いわゆる裸の付き合いが今の社会からどんどんなくなってきていることに非常に嫌悪感を抱いたからです。だからこそ僕は対面での会話を非常に重視していて、これが裸の付き合いですべてをさらけ出せている自由な自分が私にとってのアイデンティティです。ただこの裸の付き合いが失われた光景は至るところで見受けられ、例えば食事中にスマホをいじっている人、友達と電車で帰るときにスマホいじって会話を全くしない人、LINE上でクラスメイトとの会話を家で真夜中まで延長線を繰り広げる等です。これらの行動に違和感を持った人いますよね?

人間はなぜ進化してきたのか。なぜ他の生物種は人間のように進化できないのか。ここには言語と思考力が人間にはあったからです。人は人と会話して成長してきた。生まれたての頃は両親の言葉を聞いて成長し、今度は両親以外の赤の他人と会話して成長し自分の考え方を作り上げ大人になる。またこの会話の中で、良い悪いという判断レベルの思考力から、なぜの根拠を求める思考力、更には新たなものを生み出す思考力。この2つの要素が今の社会から感じられるかと言われるとそうは思えません。

このようにインターネット上の自分、自分をさらけ出さない状態での仮の自分が先にありその後に人間がついてきている。これが今の社会です。私からすれば非常に非人間的な行動のように見えます。これでは人間は進化をすることもできないうえ、このまま盲目的になりどんどん退化している。私は非常に人生経験が浅いので解決法を享受する事もできないですし、思いつくこともできませんが一つ言えることは、もっと一緒に会話しませんか?

生意気だと思った人、一緒に会話してみませんか?ぜひご意見ご感想よろしくお願いします。


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