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みはらしとなづけ

磯崎新さんの「みはらしとなづけ」の読書録となります。

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1998年発行の「磯崎新の発想法 建築家の創作の秘密」の中に収録されており、初出は『みはらしとなづけ──講演「地方都市からの景観創造」1996年12月』とのことです。山口県秋吉台における芸術村の構想に関してなされた講演の記録のようです。

「景観とは何か?」

ということを考えるうえで本質的なヒントがあると感じ、感銘を受けた点についてまとめていきたいと思います。

磯崎さんは景観についてこのように語ります。

景観、とりわけ「ある町の景観」、あるいは「ある地方の景観」というふうに呼ばれているものは、その地方、あるいは町でもいいし地域でもいいですが、そこが自分そのものであること、───英語で言うと、「identity(同一性)」───を確保する、維持するためにつくり出しているひとつの仕組みなんだと見て取っていいと思います。

景観、と景色。

似ている言葉ですが、これらの違いを意識したことはあるでしょうか?

「観光」という言葉にも「みる」という言葉が含まれていますが、「景観」と「景色」を比較したときに、前者は「文化」に属し、後者は「自然」に属するものであると思います。

もちろん、両者に厳然たる区分があるわけではなく、相互に補い合うような関係であるといったほうが適切でしょう。

「観」というときには、「どのような視点で」というperspectiveの問題が必然的に入り込むはずです。(景観と景色、をよりよく理解するためには、仏教哲学における唯識論も役に立つと思われ、いずれまとめてみたいと思います。)

では、その「景観」はどのように発生するのでしょう?

それこそがまさしく「みはらしてなづけるということ」なのだと磯崎さんは言います。

これは奈良の景観、京都の景観、山口の景観というように、必ず一定の場所の名前を冠して景観という言葉が使われてしまいます。そういう名前を冠して使われている景観とは一体どういうものかというならば、その場所、その地域に一つの文化が発生します。その発生した始まりの状態を常にイメージとして思い起こしながら、自分の所はこうなんだというようにして言うことだと言えます。それがアイデンティティなんですが、こういう仕組みが景観という言葉の用法の中に含まれているのではないかと考えます。

このように、人がある地に住み始めた果てに、共同体というものを形成するようになる。自分たちとは何者か?という問いを持ち、自分たちのアイデンティティとなる名前をつけて、原風景の記憶を抱くことになる。

例えば、「京都らしさ」というときには、京都というものが名づけられた始源を無意識のうちに反復しているのですね。

万葉集、風土記、古事記、、、を紐解くといくつも、地名の名づけの場面がでてくるそうですが、そういった「名づけ」も景観の始源という文脈で語ることができると。

自然として存在していた景色に対して、共同体のアイデンティティ・理想を「なづけ」という形を伴って投げかける。歴史の変化の中で、資源が反芻される(”もどき”)とともに、始源のイメージに対する歪み・荒廃、も必然的に起こる。未来を志向するイメージの力と、始源へと回帰する力のせめぎ合いの中で「自然と文化」が相互作用してきたのではないでしょうか。

ですから、私たちが「京都らしさ」あるいは「Kyoto!」というときに 、京都というものの始源にかかわるなにものかを知らず知らずのうちに反芻しているはずで、一体私たちはなにを「京都らしさ」と思っているのかということをもっと自覚的に認知・体感する必要があると思います。

虚構・現実・本物・自然、、これらの間をどのように泳いでいくかという技法は、地方創生ということを考えるうえでも重要でしょう。

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そのように景観というものを考えてみると、「景観条例」なるものは少々滑稽でもあるように思えてきました。。。



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