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田中あすかという人間
響け!ユーフォニアムにおける”特別”
田中あすかといえば北宇治高校吹奏楽部の副部長であり、主人公と同じユーフォニアムを担当している3年生である。
劇中や公式の紹介でも「美人でカリスマ性があってユーフォが上手くて、みんなから頼りにされている『特別』な先輩」と評されている高校生とは思えない超人である。
”特別”といえばあすかの他にも高坂麗奈などがあげられるが、当作品における”特別”とは一体何なのだろうか。
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あすかと麗奈の共通点
”特別”であるあすかと麗奈の共通点と言えば、父親がプロの演奏家と言う点がすぐに思いつく。
ただ、麗奈はプロのトランペット奏者であり滝先生の父親など音楽界と広い繋がりを持つ父親と夜道を心配してくれる母親、幼少期からお城のような外観の楽器の揃った恵まれた環境で育っている。
対照的にあすかは幼い頃に両親が離婚しており、和風建築の年季が入った家に住み仕事が忙しい母親を支えながら父親に贈ってもらったユーフォを母親に気づかれないよう練習している。
しかし環境が違えど、2人が血筋だけでなく努力で登り詰めてきた努力型の天才であることには間違いない。
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あすかの母にとって吹奏楽やユーフォは自分たちを見捨てた男の忌々しい象徴であるが、あすかにとっては顔もおぼろげな父親との唯一の繋がりだと考える。
そしてあすかが全国大会出場に固執する理由は父親に自分の音を聴いてほしいから。
つまり日々の練習は自分の目的を叶えるための通過点でしかなく、その過程にあるソロ争奪戦や部員同士の揉め事には興味がない。自分や部にとって有益かどうかで判断する。
もちろん無益だと判断すれば退部を引き止めたことのある後輩でも自分だとしても容赦なく切り捨てる、残酷さと物事への諦めの良さが窺える。
1期の麗奈も久美子に「特別になるためにトランペットをやっている」と話しており、ソロオーディションでも他の部員を実力で捻じ伏せるなど自分の目標のためなら周りからどう思われようと一切気にしない。
2人とも音楽には一切妥協しないし、良い演奏をすることだけに誠実なのだ。だから久美子も他の部員も2人の熱にあてられるし、2人を特別だと認識して一目置いているのだ。
母親という呪縛、家族という暴力隠蔽装置
2期の中盤、全国大会を前に母親が職員室に乗り込みあすかの退部騒動が起きる。
あすかは9話で自身の母親を「束縛が強くてすぐヒステリックになる」 「一生外せない枷」と話すが、同時に「でも嫌いってわけじゃない。ここまで育ててもらった借りもある。」と母親を見捨てることができない様子もみせる。
久美子が「お母さんのこと嫌いなんですよね?」と切り込み、あすかもそれを肯定するが好きも嫌いもどちらも本心であり混在しているのだと思う。とまり愛憎。
母親とは呪縛であり、家族とは「愛」で内包された暴力隠蔽装置である。
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職員室で感情的になった母親があすかに手をあげたときも特に先生たちも強く咎める様子はなく、ただそこには異様な空気が流れるだけだ。家族という小さく閉鎖的な空間では誰も容易に土足では踏み込めない。暴力は家族限定で”躾”として赦されてしまう。だから家族は世間から切り離されていくし、母子家庭として小さな宇宙空間に2人きりの母親はあすかに自分の理想の人生や幸せを押し付け、束縛するのだ。
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偶像崇拝する同級生たち
「田中あすかは特別」これが部員たちの共通認識である。
同級生である2人もただの友情だけではなくそれぞれ複雑な感情を抱いていることが公式ホームページからもわかる。
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晴香は1期のころから「なぜ特別であるあすかではなく自分が部長なのか」思い悩んでおり、あすかへの劣等感を描写されてきた。香織はソロオーディションの際、「あすかの中の自分を超えたい」と語っておりあすかの退部騒動も久美子があすかの母親を説得できるように裏で手を回したり何度も説得を試み、あすかと演奏することに執着している。
あすかに「特別でいてほしい」と願う2人のそれは友情ではなくある種の偶像崇拝のように感じる。
黄前久美子の父性、中世古香織の母性
2期9話にて久美子と家に向かう途中、あすかは新しく買ったというスニーカーを見せびらかす。これはあすかの心を表している。
あすかは久美子に全て語ったら全てをリセットして全てを諦めるつもりなのだ。固くて履き疲れてしまうローファーではなく、どこまでも行けそうなスニーカーで。
でもそれを香織は許さない。「靴紐解けてる」と、あすかの靴紐をキツく結び直す様子はまさに束縛が激しい母親に重なる。
あすかもそれを感じ取って険しく暗い表情になったのだろう。
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香織はその可憐な容姿と性格で吹部のマドンナなどと呼ばれているが、マドンナとは聖母マリアという意味もある。マリアとは母親の象徴そのものだ。
あすかはずっと香織に苦手意識があったのかもしれない。
あすかの母親の好物を手土産として手渡したり、久美子に「あすかのことよろしくね」と母のようにお節介を焼く香織はあすかには厭悪の対象でしかない。
一方で久美子はあすかの中で父性の象徴である。
父親との繋がりであるユーフォに似ている久美子に、あすかは自分の父を重ねていたのではないだろうか。
そんな久美子に、「父親が作った曲を否定してほしいのかも」とあすかは語る。それはあすかのアイデンティティを否定することになる。でも、それほどの信頼を久美子においているのだ。
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心の距離が描写されている。
田中あすかという超人の正体
”否定されたい”に隠された裏のきもちは”肯定してほしい”になる。他人に期待せず、自分に対しても諦めの良いあすかの正体は父親の愛情と承認に飢えた独りの少女だ。
わざわざ3年生の教室まで来て直談判しに来た久美子を、あすかは鋭い言葉で正論を放ちながら挑発する。
まるで、自分の我儘がどこまで聞いてもらえるのか親を試す子どもみたいに。上っ面の御託ではなく「あすか先輩と本番に出たい」という自分のまっすぐな気持ちを久美子から引き出すみたいに。
結局あすかも久美子に救ってほしかったのだ。独りで戦う孤独から。
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以上が初見で響け!を見た感想でした。アニメ1期2期+映画しか見ていないため情報の齟齬があるかもしれませんがご了承ください。
9話と最終話の父親にはじめて肯定してもらえたときの年相応のあすか先輩の笑顔はしばらく忘れられそうにありません。