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2021/12/31

(日記・それは一年前の)


2021/12/31

大晦日の東京駅は嘘だと願いたいほど混んでいた。夏祭りの人混みすら苦手だったわたしが東京にいるのはそもそも向いていないし、人混みの中をキャリーケース引いて歩くのも不思議だ。飲まれそうになりながら、打ち寄せる人々の波に乗って歩いた。お土産コーナーはどこも並んでいたから、東京ばな奈をとりあえず何箱か買った。

実家に帰省する。帰るのは去年の年末からまるまる一年ぶりで、どんな顔をして帰ろうか、マスクの中で広角を伸ばしたり引き攣らせたりする。予行練習をしても誰にもバレないのはマスク生活の唯一の利点だと思った。あとは飴食べててもバレないくらいね。

新幹線は満席で、家族連れに囲まれながら北へ向かった。少しくらい浮かれた気持ちになりたかったので、手のひらより大きいシュークリームを食べながら、廊下側の小さな座席に丸くなって居た。何も食べていない身体に甘さは沁みて、体温がやっと上がるのを感じた。新幹線で缶ビール飲むやつあるじゃないですか、あれ、ずっとやりたかったけど日和って出来ませんでした。周りではお弁当のいい匂いとプルタブを開ける音がして、次こそはできるといいな、と思ったりした。わたしには未だシュークリームで十分。

地元へ近づくにつれて窓の外はだんだんと雪深くなる、しろいっぽい、が、白い、になって、真っ白、になって、地元近くになると何も見えない、になった。凍えるような景色と裏腹に心は温かく、萩の月の広告も一年ぶりに見て、そうかわたしは北へ行くのだ、と、心音が速くなった。仙台を過ぎて車内がからからしてきて、辿り着いた一ノ関は真っ暗だった。渋過ぎるフォークソングの発車音を久しぶりに聴いて、田舎の尊さを感じた(夕暮れ時はさびしそうという歌らしい)。ここにはバニラ求人の広告も、脱毛も、競馬も、何にもない、年季の入ったおみやげの広告だけがじんわりとひかる。そんな街だ。

一年ぶりに降り立った一ノ関駅でしっかり迷子になり、迎えに来た父親とのファーストコンタクトは曖昧な感じになってしまった。涙くらい溢れるかと思ったが、実際は、アッ、アッ、という声が溢れた。

凍った地面にゆっくりと車を走らせる。真っ暗な車内でぽつぽつ、最近の東京の話をしたら、父親が東京に住んでいた頃の話を聞かせてくれた。父親がよく行っていた池ノ上の台湾料理屋はまだ存在していて、Googleマップにピンを刺した(とても便利)。
父親は一年前より小柄になっていて、白髪が増えて、でも可愛らしい話し方は変わっていなかった。

実家に着くと母が大量のエビフライと共に迎えてくれた。どんな顔で会おうなんて気持ちは何処へやら、会ったら笑ってしまって、年末の張り切り方にさらに笑ってしまった。こんなにたべれないよ、と言いながらたくさん食べた。身体の内側が、東京から気仙沼に変わってゆくのを感じた。東京に無いものばっかり、気仙沼には有る。

フライとか刺身とか煮魚とかお吸いとか、全部平らげて、家族とはじめてお酒を飲んで、みかんなんか食べて、猫にちゅーるをあげて、こたつで眠ってしまって、ああ戻ってきたんだ、これが実家なんだって思いながら、もう朝だけど寝床について日記を書き綴っている。

視界が白むから、目が潤んできたのかもしれない。でもそれは多分ただの雪のせいだ。たぶんきっと、心にまで降る、あったかい雪のせいだ。

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