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才能がSNSによって消されていくんだ

出る杭は打たれる

最近、SNSが嫌になっている。まぁ、普段から好きではないし、Xに関しては、気分が落ちているときにみると本当に憂鬱になるし、あふれる情報に頭がパンパンになる。

特に先月、その嫌さをダイレクトに実感した。私はお笑い芸人が好きなのだが、その方がSNSとすごく向き合う方で、それゆえSNSをよく辞める方なのである。そして、辞めたのだ。

私は彼のSNSでの投稿が好きだから、そのアカウントがなくなってしまうのは悲しい。というか、なんか、心無い人たちに有る事無い事言われて、インターネットでのコミュニケーションをやめてしまったことが悲しい。ファンとして。

でも、SNSという、別にあってもなくてもいい、文字でしかその人を判別できない手段で、彼の全てを知ろうとしなくても、別に良くない?という考えにもなっている。リアルで会おうよ、動こうよ、という気持ちである。

そんなこと言ったら、このnoteだって文字だけのコンテンツじゃないか!思われるかもしれない。しかし、これは特定の誰かに届けようとしてるわけでもないし、文字で会話をするための道具ではないからセーフ、だと思っている。

文字×不特定多数の人間との会話
=揉め事の発端

こんな感じがする。

文字だけで表された言葉なんて、本当の気持ちの3割くらいしか伝わってないようなものではないか。情報しか伝えないよ。

会話にはそこに、相手がいて、相手の解釈があって、相手の返答があって成立する。

当然そこには「関係性」が必要である。

直接会って話す会話でさえ、誤解が生まれる事があるのだから、文字で、しかも他人と会話するなんて、誤解が生まれないわけがないのだ。

たとえ、SNSでコミュニケーションをとれる相手が見つかったとして、dmで会話をするとしたら、文章をよく考えるだろう。私はその作業が疲れてしまうから、dmは続かないことがほとんどである。でも、よーく文を考えてまで会話を続けたいと思うような相手は、きっとその人にとって大切な人なのだろう。それはそれであり。

SNSへの愚痴になってしまったが、何が言いたかったかというと、文字だけのツールで言葉への責任も持たずに、特定の他人にあーだこーだいうな、ということである。言葉は言葉だから、人の心には良くも悪くも届くよ。

せっかく再びオフラインの時代が来たんだからさ、みんな、顔を合わせようよ。ライブで会おうよ。


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