見出し画像

引用を先にしてからエピソードトークをしてみる【引用先行エピソードトーク】

 論文やレポートを書くとき、自分の文章に説得力を持たせるために、他の人の文章を引用することがある。自分の意見を一般化したり、より強固にしたりするためには、独りよがりの考えではない、客観的な文章である必要がある。

 私は、引用できる人はある程度の知識量と頭の柔軟さがあると思っている。自分が展開したい論に合わせて、それを根拠づけるような文章を検索する必要があるからだ。普段からそのような文章を書いている方からすれば、そんなこと、当たり前だと思うかもしれない。しかし、私は引用をすることが苦手である。原因は簡単で、単なる私の知識不足である。

 私の話はさておき、今回は引用する文章をあらかじめ決めて、そこから何かしらの論を広めようという試みをしたい。使用する文章は、かつて私が読了した本である。ジャンルはまちまち。どうなるかわからないが、やってみたい。


われわれの寸劇は、要くんのあまり似ていないモノマネからはじまることがおおい。この「あまり似ていない」というのが大切なポイントだ。ぜんぜん似ていないと、なにがなんだかわからないが、芸の完成度がたかすぎても、その寸劇に参加しづらくなってしまう。

堺雅人(2009)『文・堺雅人』

 ちょうどいい塩梅。これって生きていくうえでとっても大切なスキルなのではないでしょうか。なんでもそうです、初対面の相手と話すときの熱量、先輩と行くご飯屋さん、近所の人と話す会話の内容、レジに並ぶときの前の人との距離の詰め感、など。極端ではない、中間をとる。これってすごく難しいのでは?と思います。

 というか、そもそも極端の端も定まっていないものに、中間など存在するのでしょうか。近所の人と話すとき、「今日はいい天気ですね」が1で、「あそこの奥さん、町会長と不倫してるらしいよ」が100だとしたら「息子さん、もう中学生ですか~早いですね~」が中間くらいかな?

 そう考えると、いい塩梅≠中間なのではという仮説が立ちました。

 新しい問いが生まれました。いい塩梅は、他の人が会話に入れる程度の内容。なのではないでしょうか?引用中の堺さんも述べているように、ちょうどいいクオリティだから、他の人も寸劇に入ってきやすいのです。だから、その空間に最初からいる人のほかに、後からも入ってきやすい空間(ここでは、他者性がある、と言っておきます)がいい塩梅なのではないでしょうか。

 初対面の人と話す熱量も、あまりに二人だけの会話だったり、はたまた自分だけしか盛り上がっていないのでは、感情の共有ができず、他者性がありません。先輩と行くご飯屋さんも、まあ、先輩の嫌いな料理ばかりの店には行きませんよね。近所の人と話す会話の内容も、子ども関係なら、学校の話とかで盛り上がるのかなと、想像しているのです。こうして考えてみると、「他者性を考える」ことは、人間関係を築く上で大切なことの基本だったように思います。

 ただ、レジの並び順に他者性を取り入れると、間に1人割り込まれる可能性があるので、ご注意を。


・・・とまあ、こんな感じになりましたが、どうでしょう。何ともまとまりのない文章でしたね。メインテーマは「いい塩梅」です。
 ランダムに選んだお題で大喜利的にエピソードを考えるの、割と面白いですね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?