火事とチンピラの話
高校から大学まで住んでいた家は、自転車で行ける距離にブックオフがあって、僕は読書家ではないけれどたまに思い出したように本を読むことがある。その日も確か、何か続き物の小説を探してブックオフに向かっていた気がする。時間は夜で、住宅街を横切る県道の緩やかな下りを自転車で駆け下りる途中、子供が道路に飛び出してきたのが見えた。
家の前で花火をしていたようだ。煙が漂っていたし、匂いもした。騒がしい声も聞こえた。その日は暑かったから、多分夏だったんだと思う。花火をするにはぴったりの季節だ。むしろ夏以外にする花火は「あえて感」が生じてしまう。わざとらしいエモは恥ずかしくて見ていられない。
恥ずかしいついでに少しだけ自分語りをすると(早速脱線した)、中学生の僕は自分を好きになりたかった。というより、誰だって自分を好きになれると思っていた。好きになれないのはおかしい、何か恥ずかしい間違いをしているんだと思っていたから、だから自分を好きになろうと思っていた。今でも恥ずかしいのは苦手だ。
中学生の頃に運動部の抑圧的な環境に面食らって自己否定を繰り返していたからか、僕は自分にルールを設定していることが多くて、ルールを守れないとさらに自己否定するような子供だった。
ちなみにそのルール中で最も難易度が高いのは人の命を救いたいというものだった。まともな理由なんてなくて、ただ厨二病少年的にはアツいと思っていただけだし、どうあれ人命を救うことは褒められるべきだからそんなことしてみたいなと思っていた。その時には自分を好きになれると思った。
話を戻すけれど、自転車をこいでいる時には「あえて感」なんてことは考えていなかった。ただ飛び出してきた子供のわきを通り過ぎて少し経ってから、その顔が強張っていたような気がした。でもそれよりも前に、花火にしては煙の量が多すぎることとに違和感を感じたので、騒がしい声の中で誰かが言った「かじだ」という言葉が「火事」だとようやく理解した。こういう時の鈍重さには我ながらがっかりするけれど、どうやら念願の人命救助のチャンスかもしれなかった。
正直に言って僕は戻るかどうか迷った。どうやら本当に火事らしいことは振り返れば分かったが、既に通り過ぎてしまっている。それに、住宅街というのは生活感がある分よそ者に大概排他的というか、そこに住んでいない人は立ち去ってほしい、という意思を感じるから、自転車を翻して行くことに抵抗を感じた。思ったより火事の規模が小さくて僕の助けが必要なかったら恥ずかしい、というのもある。
しかし、こういう時に思い出すのが先ほどのルールだ。動くべき時に動ける人間でありたい、と思う。火事現場から数十メートル先で閉店後の薬局にさしかかったので、そこに自転車をとめることにした。
走って戻ったところ、火は先ほどよりもずっと大きくなっていて、一階はもう一歩も入れないくらいだ。周囲には人もいて、その中の一人が「もう全員避難した」と話していた。恐らく家主だろう。どうやら死人は出なさそうだが、このまま火が大きくなれば隣家へ延焼する。何かできないかと家主に声をかけようと思ったが、呆然としていてその場を指揮出来そうには見えなかった。キョロキョロしていると、ヒョウ柄のシャツを着てサングラスをした男性がホースで水を撒いている。どう見てもヤクザかチンピラだが、目があってしまった。兄ちゃん!手が空いてるんだったら消火手伝ってくれ!と猫よけに置かれている2Lペットボトル水を指差された。
反射的に「はい!」と応えたものの、一階を埋め尽くすような火に対して、こちらは2Lが数本だ。心許なさすぎる。今更だがこの時の僕はテンパっていた。まさか消火活動をするなんて思っていなかったし、消防が来るまでとは言え、自分に出来る事が分からなかった。何より突然訪れた緊急事態に飛び込む心の準備ができていなかった。
ペットボトルは5本程度あったと思う。迷った挙句僕はペットボトルを家の中に投げ込んだ。少しでも家の床を濡らして火が大きくなるのを防ごうと思ったのだ。今となっては石油で出来たペットボトルが逆に延焼を助長するかもしれないとわかるが、その時の僕はこれが最善だと思った。とてつもなく暑くて、煙が目に染みた。
その後、家の周囲のものをどけたりなんだりしている内に消防車が到着した。今思えば近くに消防署があったので、到着が早いのも納得できる。消防の邪魔にならないよう下がり、プロの消火活動を眺めた。どうやら問題なく鎮火出来そうだし、延焼の心配もなさそうだ。自分にできることはもうないだろう。そんなふうに考えていると、警察官も到着し、周辺にいる人に聴取をしていた。
何も貢献できなかったが気持ちだけは消火活動に参加していた僕も声をかけられた。なぜか水を撒いていたチンピラと一緒だった。氏名、職業などを聞かれた気がする。チンピラは職業を聞かれて「……自営業。水商売。」と答えていた。また、僕と同様にただ通りかかっただけの人だということも分かった。
怪しさ満点だが、当時の僕にはいわゆる"そういう人"が消火活動に参加し、助けを呼びかけるとは思わなかったので、少し感動していた。子猫に傘を差す不良や、オタクに優しいギャルを見たような気分だ。
聴取は簡単に終わった。チンピラ風自営業男性とは少し話しをした気がするが、あまり思い出せない。その人は家主と話したりすることもなく、すぐに立ち去っていったのを覚えている。それは見返りを求めない、自己満足の姿勢だと思った。
その姿がかっこいいと思った。正直、火事がどうなるのかも気になったが、チンピラに倣いその場を後にすることにした。
結局ブックオフには行かなかった。
動揺が全然収まらなかったし、興奮もしていた。
自分のしたことの意味を考えようと思ったが、よく分からなかった。
随分昔のことだ。振り返ってみると、僕のしたことは消火の助けにはならなかった。情けない部分も沢山あったし、あまりいい思い出ではない。ただ、今でもたまに思い出すことがある。その時の服には煙の匂いが染み付いて中々取れなかったこと。チャラついた見た目の人に中にも、他人を無償で思いやれる人がいるということ。動くべき時に動ける自分だったこと。
そのあと、燃えてしまった家がどうなったのかは知らない。そこまで興味がなかったのだと思う。ただ、多分今でも誰かがその土地に住んでいるのだろう。その人は普通の人で、家族がいて、誰かに親切にしているかもしれない。それくらい火事は普通に起きるのだ。
僕を抑圧していると思っていた"ルール"は役に立った。現場で生じる逡巡を事前に済ませることが出来るかもしれない、つまり意味があるかもしれないと思った。それは僕にとって大事なことだった。
思ったより長くなってしまったけど、残念ながらオチはない。
それでも少しだけ蛇足を加えると、このルールが生きる時がその後の10数年の内に2回程度ある。いつか、その時のことも書きたい。