Ryota

よく食べ眠り、すくすく育つ

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最近の記事

長崎で路頭に迷いかけた話

長崎について 大学を卒業し新卒で配属された部署は、社内でも珍しく出張が多かった。国内のみだが北海道から沖縄まで30都道府県は訪れている。僕は経費で行くリョコウが大好きだったので泊まりの出張案件は積極的に手を挙げた。新人は前のめりになれという会社の方針に従った形だ。サラリーマンの鑑と言えよう。個人プレーな働き方だったので、先方との調整は「火水は別件が……」とか嘘をついて必ず土日にくっつけて計画した。 特に思い入れがあるのは長崎だ。僕は長崎駅近くのマドゥバニというカレー屋が日

    • おじいちゃんが倒れていた話

      祖母と京都という土地について 母の出身地である京都には今は祖母が一人で暮らしており、僕は就職した後も出張にかこつけて度々訪れていた。祖父が他界した後、一人暮らしの祖母の様子を見るという面もあったが、単純に祖母と京都という土地が好きだった。 その日も京都に訪れていた。昔祖父が使っていたベッドから這い出たらだいたい午前10時頃だった。とっくに起きていた祖母は怠け者の僕を叱ることもなく(諦められただけかもしれない)、コーヒーを淹れてくれた。テレビによると台風が来ているらしい。僕

      • 傷心旅行に行った話(2/2)

        前回、僕は北海道へ傷心旅行に行くことにしたと書いた。初日に美幌へ行き車中泊、翌朝見事な雲海を見ることが出来た僕は、正直ちょっと満足しつつあった。いやいや、帰りのフライトまで4日ある。飽きてない飽きてない。まだやれることはあるはず。 前回記載した工程表を改めて記載する。僕の文章はだらだらと長くなってしまうので、要点を絞って太字箇所に触れていきたい。 3日目 釧路湿原に訪れた。初夏の北海道だ。やっぱり緑は見たい。コンクリートジャンゴゥで働く僕にとって、広大で力強い自然という

        • 傷心旅行に行った話(1/2)

          このご時世、傷心旅行なんて本当に行く人いるんだろうか。おらんやろ。じゃあ行ってみるか。 と思って、2021年一人っきりの夏休み、空っぽの予定を余すところなく使い尽くすべく北海道に行くことにした。正直、傷心旅行に行くことなんてもう今を逃したら無いかもしれない、何故かチャンスだと思った。 ただ、傷心旅行ってどうすればいいのかよく分からない。一人で温泉旅館に泊まるとか、友達とどんちゃん騒ぎするとかパターンはあるのだろうが、実際に行った話を聞いたことがないのでいまいち正解のイメージが

          ドラクエ7の小説を読みきれなかった話

          僕は幼少の頃、父母姉の家族4人で愛知県に住んでいたことがある。その頃のうっすらとした記憶の一つに、「ゲームの日」みたいなものがあったような気がする。普段は客間になっている和室にテレビがあって、父親が帰ってこない日にそこに晩御飯を持って行って、食べながらゲームをするのだ。もちろん事前に母のお許しが必要だ。僕の母は特別教育熱心というわけではなかったが、礼儀や作法はちゃんとさせたがる人だったので、今思えば中々に思い切った教育である。 僕はその「ゲームの日」が好きだった。まだ幼かっ

          ドラクエ7の小説を読みきれなかった話

          火事とチンピラの話

          高校から大学まで住んでいた家は、自転車で行ける距離にブックオフがあって、僕は読書家ではないけれどたまに思い出したように本を読むことがある。その日も確か、何か続き物の小説を探してブックオフに向かっていた気がする。時間は夜で、住宅街を横切る県道の緩やかな下りを自転車で駆け下りる途中、子供が道路に飛び出してきたのが見えた。 家の前で花火をしていたようだ。煙が漂っていたし、匂いもした。騒がしい声も聞こえた。その日は暑かったから、多分夏だったんだと思う。花火をするにはぴったりの季節だ

          火事とチンピラの話

          haruka nakamuraのスティルライフⅡを聴いて思い出すこと

          五つ上の姉はピアノを弾く人だった。リビングには電子ピアノがあり、よく姉が課題曲を練習する音が響いていた。そして僕はピアノがあまり好きではなかった。 僕が幼稚園から小学校低学年くらいの頃、姉のコンクールがある度にどこだか分からない遠くのホールへ連れて行かれたことを覚えている。恐らく別の市だったのだろうが、車でも結構時間がかかる上に知らない子供のピアノを聞かされてひどく退屈だった僕は、いつも途中で会場を抜け出した。大抵、同じように退屈している子供と仲良くなり、入り口の噴水に入っ

          haruka nakamuraのスティルライフⅡを聴いて思い出すこと

          自分でワークデスクを作った話

          いくつの頃だったかわからないが、初めて買ってもらった机はポケモン図鑑のマットがついた学習机だった。姉の机よりピカピカで引き出しが多いことをこっそり自慢に思っていたような気がする。それから多少年をとって、急に学習机を使っていることが恥ずかしく感じるようになってからは、スチールラックを調整して机の代わりにしていた。この机、高さ調整が自由な点と収納と机を一緒くたにできることは便利なのだが、難点がある。キーボードを叩くとラックがシャンシャン鳴るのだ。 日常でネットサーフィンをするく

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