住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第1号 はじめに・目次
住んで暮らす東京の街についての9編のエッセイを集めたnoteマガジン『あの街』を本日リリースしました。
本記事では企画に至った背景と、寄稿された記事の目次を掲載しております。
はじめに
今回の企画にあたって、2020/3/17にはてなブログで執筆者を募集しました。ここに掲載するのはそちらを加筆修正したものです。
先月、友人に誘われて押上駅近くのカフェに行きました。
押上を訪れるのはほぼ初めてで、「半蔵門線の終点」「スカイツリーのある駅」以上の印象はない駅でした。
東京メトロ押上駅から地上に出て、カフェまでの道のりを調べようとGoogle Mapを開いた私はびっくりしました。
「え、こんなに東にあるの、押上!?」
なんとなく根拠もなく、漠然ともっと北の方だと思っていました。
2015年の3月に引っ越してきて、東京らへんに5年もいます。
横浜市港北区の大倉山で1年、それから東急目黒線の奥沢とその周辺で4年ほど。
ところが、23区の左下の方にずっといるせいか、荻窪とか中野で電車を降りたことがありません。
大森、よく聞きます。笹塚、便利でいいところだそうですね。
西日暮里はもっと西だと思っていました。北千住は実際北ですが。
東京といっても、ビジネス街やターミナル駅ではない東京の街のことを、私は何も知らないと気づきました。
私が住んでいたのは大きな首都「東京」ではなく、4年いる奥沢の街なのです。
わたしは奥沢のことをどう紹介していいかわかりません。
「どこ住んでるんですか?」
「奥沢です」
「奥沢ってどのあたりですか?」
「自由が丘の近くで……」
「へー、いいところですね」
というやり取りのたびに、妙に歯がゆい思いをしてきました。
私にとって奥沢はスイーツの街でも高級住宅街でもなく、
駅の広場のたこ焼き屋、誰もいない駅前ビルの地下の生協、日曜の夕方のコインランドリー、クーラーが壊れっぱなしの立ち飲みワインバー。焼き鳥屋密集地。
朝は出勤するサラリーマンばかりなのに、夜は誰もいなくて、でも不思議と治安が良い。
そういうところです。
きっと、住んだ街のほんとうのことは、住んだ人しか知らないのです。それなのに、大体の人は一度に一つの場所でしか暮らすことができません。これはとても惜しいことだと思いました。
いろんな人にいろんな街での暮らしの思い出を書いてもらいたい。その文章をきっかけに、その地を訪れたり、引っ越したりする人がいたらとても素敵なことです。
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執筆の呼びかけをしたのは3月の半ばでした。コロ ナウイルスの流行防止のための外出自粛は今ほど厳しくなく、「花粉症なのにマスクが入手困難でまいったな」くらいだったのが、いつしか外に出られなくなりました。電車に乗ってどこかに出かけられるのはいつになるでしょうか。
この状況で寄稿者の方々の原稿を読みながら、見たことのない街のことを想像するのはとても楽しかったです。
どの街も手放しで「最高!」というわけでなさそうですが、執筆された方は必ずどこかにベタ惚れしてて、それをこっそりと教えてくれます。
それぞれの尊い部分を確認できる日を楽しみに、このGWはじっと家にいます。
あらためて寄稿者の皆様、ありがとうございます。
それぞれの記事を読んでみたら、きっと「私も書きたい!」となると思います。ぜひご連絡ください。感想もお待ちしております。
今後も継続して、東京中の街の話をもりもり集めていこうと思いますので、noteのフォローもよろしくお願いします。
目次
各作品タイトルの駅の所在地の区を基準とし、東京23区の「全国地方公共団体コード」の順で並べています。同じ区の中に複数記事ある場合は、駅名の五十音順に配置しました。
新宿区
透明ランナー「曙橋駅 新宿から2駅のエアポケット」
そと「高田馬場駅 早稲田まで馬場歩き」
墨田区
炬燵(Kotatsu)「鐘ヶ淵駅 出向先での同人生活」
大田区
古賀のり夫「大森駅 ネコと一人で暮らした都会」
世田谷区
ませり「奥沢駅 洗濯機が壊れた日」
渋谷区
かにまる「笹塚駅 いつでも私が舞い戻りたいまち」
杉並区
滝田七穂「東高円寺駅 酔狂と静かな浮遊感」
豊島区
なげなわツール「駒込駅 境界線上のバラバラな街」
荒川区
飯島雄太郎「西日暮里駅 古書ほうろうと高校と。」
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