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神保町駅 書物を巡る冒険 | ねこラジ

「水道橋に住んでいるのに神保町に行ったことがないなんて、学生生活の半分を損しているぞ。」

大学3年の秋、研究室で雑談をしていると、ある先輩が笑いながら私に言った。
「え、半分も?」と私が驚いていると、先輩は目をキラキラさせながら、とんでもないお宝の在処を伝えるRPGの導き手のように続けた。
「秋の古本祭りに行ってみなよ、もうすぐだろ。」
私はその言葉に従い、早速古本祭りが開かれているという週末の神保町に向かった。

当時住んでいたマンションから大学病院を二つ越えて、御茶ノ水の坂を降り、大きな交差点を渡った先が神保町古書店街である。
私はその光景に目を疑った。ごった返す人、飛び交う本、あまりに多くの魅惑的な情報に軽く眩暈を覚えた。
ここは本の海だ。大海原だ。デカルトは世界という大きな書物、という表現をしたが、どっこい神保町では書物が世界を作っていた。

それは今までの人生でずっと憧れていた光景だった。
私は一人っ子でこれといった娯楽もないような田舎に育ったため、物心ついた頃からひたすら本を読み続けていた。
自分の部屋の子ども百科全集や図鑑を読み終わると、父の部屋の旅行記や趣味本に手をつけ、更には祖父母の部屋の家庭の医学を読んだ挙句、玄関先に座り込み電話帳まで読み始めていたので、見かねた父親は毎週のように本を買ってきてくれていた。

その後、大学入学を機に上京、中央線沿いにある大学の文学部哲学科に入学し、主に大学図書館と研究室を根城にして本を読み漁っていた。
そんな私にとって神保町はまさに夢のような世界であった。

最初の古本祭りは人と本の多さに圧倒され、ゆっくり見ることができなかったが、それからは毎週のように神保町に通った。

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特にお気に入りは、写真集が充実した小宮山書店、哲学書に強い田村書店、SFなら@ワンダー、新刊書店であるが、独特の特集がよく組まれた通好みの東京堂書店であった。

そして忘れてはならないのが、古本屋街の雰囲気を盛り立てる個性的な喫茶店たちである。
ミロンガ・ヌオーバ、ラドリオ、さぼうる二店舗、神田伯剌西爾、古瀬戸珈琲店二店舗はよく通った。

いずれも素晴らしい喫茶店であるが、特に思い出深いのはアンティーク調のしっとり落ち着いた店内にタンゴが流れるミロンガ・ヌオーバである。
昼間は静かに本を読むのに適していて、夜の帳が下りればまた違う顔を見せる。
世界中のビールをはじめとしたアルコールのラインナップや軽食メニューもあるため、様々な時間の過ごし方ができる空間である。

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さて、古本屋探索にも幾分慣れてきた折、卒業論文の季節が近づいてきていた。
論文を書くために、プラトン全集のうちのある一冊が必要になった。
私が探していた本は稀覯本とまではいかないが、全集の中では特に高い値段が付けられており、事前に調べていた相場は8000円から一万円ほどであった。
卒論の指導教授にも「まぁ、見つからないと思うし、あっても高いから無理して買わなくていいよ。」と言われていた。

しかしそれでも欲しい。なんとかしたい。

プラトン全集自体が二万円台後半から取引されることもあったので、単体で手に入れるのが困難なら、全集自体を購入しようかとも考えていたが、それは大学生にとっては痛い出費である。

そんなことをぐるぐる考えつつ、昼前から神保町に向かい、心当たりの人文系の古本屋を幾つか回ったがどうしても見つからない。
もう一度しらみ潰しに探そうと今度は全ての古本屋に入っていく作戦で探した。だがそれも徒労に終わった。

夕刻、日も翳り始め、脚も疲れて今日はこれでおしまいかと思いながら無意識に曲がった路地の奥に倉庫に見紛うような店構えの古本屋があった。
天井までぎっしり本が積まれ、通路は狭く、薄暗い。少し覗き込んでも、中の様子は伺えない。

さてどうしたものかと軒先で考え込んでいると、「何を探してるの」と初老の男性が店の奥からひょいと顔を出した。

私は恐る恐る答える。「プラトン全集の〇〇の巻を探しています。」
男性はニコニコと笑う。「プラトン全集なら、A出版とB出版から出てるけどどっちがいい?」

両方ともあるのか、哲学系に強い別の古書店でもなかったのに、と内心驚きつつ、「えーと、Bの方があれば」と答えると、「そうだね、〇〇の巻の翻訳なら、B出版の訳の方が評判いいから。」と言い残し、器用に本の山をかき分け、店の奥に入っていった。

プラトンのマイナーな著作、しかも複数出ている翻訳の評判まで知っているなんて、この人は何者だ、古書店のネットワークの情報として仕入れているというより明らかに読んだような口調だったし…と一人で考えていると、すぐに目的の本を出してくれた。

「はい、3000円。」

安い。奇跡的に安い。ネット上では1万円近い値段がつけられていたのに三分の一だ。
そのまま大喜びし、お礼を言って店を後にした。

あの店主さんはすごい人だ、しかも目当ての本をこんなにお手頃な値段で手に入れてしまった。
興奮冷めやらぬまま帰宅して、翌日大学に着くなり指導教授に目的の本を見つけたことを報告した。

教授に「すごいね、よく見つけたね。神保町のどこ?何書店?」と聞かれて気づいた。
そういえば、あの古本屋さん、看板がなかった。まぁ、場所は覚えたし、また行けばいい。今度はゆっくり見させてもらおう。

しかし、次の週末に同じ場所に行ってみるとあの古本屋がない。定休日だったかと、また曜日を変えて行くとそれでも見つからない。
名前を知らないので検索しようがないし、古本好きの同級生に店の特徴を伝えて聞いてみても首を傾げるばかりであった。

それからしばらくは神保町に行くたびに同じ場所に通って今日は出会えるかと期待を込めたが、その古書店が私の前に現れることは2度となかった。
閉店してしまったのか、移転してしまったのか、おそらくはどちらかだろう。

しかし、この街に魅了された人には分かるだろう、あれは一日中探し歩いた本の虫が運良く迷い込んだパラレルワールドにある幻の古本屋だったのではないかと仄かに期待をしてしまうのだ。

夕焼けの中に佇む赤茶けた店。所狭しと並べられた本の山の中で、哲学書の翻訳の良し悪しについて飄々と語る店主。記憶の中にはっきりと残る古本屋のかたち。

書物に纏わる出会いは摩訶不思議で、ドラマチックだ。

古書店街では書物の中のみならず、書物の外でも多くの人々と多くの時間が交錯し、物語を形成している。
書物の内と外の物語という入れ子構造の世界は無数の糸のように絡み合い、うねり、人を寄せ、神保町自体が持つ街のエネルギーとなっている。
街自体が一つの大きな有機体のように多くの物語を取り込み、吐き出し、時代を越え様々な顔を見せる。

利便性の高い電子書籍や通信販売もずいぶん発達し、私もお世話になっているが、実際に足を運んで神保町が持つ物語性のはじっこを掴む楽しみだけは何にも代替できない。

まだ見ぬ書物に出会うために、書物を巡る冒険の登場人物になるために、私は今日も神保町に降り立つ。

■ねこラジ
猫と美術と読書会が好きな文化系社会人。2003年に上京。本郷に5年暮らす。現在は横浜在住。

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