アラサーなのにやっぱり親離れができていない
私は仕事を辞めた。自分の意思で。
アラサーの私は初めて実家を離れる。
だから、今日は親離れについて考えてみる。
私は親離れできていない、と思っている。
だけど表面上はできていると言えるらしい。
というのも、
親離れ・・・【子供が成長して、親の保護なしに自力で行動できるようになること】
と定義されているからだ。
それはできている。でもどうだろう?
真の意味で親離れができているのだろうか。
面白い記事に出会った。
「真の親離れができていない人は、親を1人の人間として見ることなく親としてしか見ていない」「幼い頃の見捨てられ不安を持ち続けている人は、変化することに恐れを持つ」
私は親を親として見ていた。もちろん親にはさまざまな顔があることは知っている。だけれど、私にとっては他の誰とも変えることのできない親だと見ていた。1人の人間として見ていないわけではないと思うが、1人の人間として見ようと意識はしていなかった。
私がアラサーにもなれば親はアラフィフにもなるわけで。歩くスピードの差だったり手の皺だったり。その変化に、いつかは訪れてしまう別れを想像してしまう。親がいなくなってしまった世界で私はどうしたらいいのかと不安になる。もちろん1人の人がいなくなった世界が、あまりにも変らず回り続けることを知っている。だから変らずに生きていけるのだけれど、想像しただけで悲しすぎる。私を置いていかないでほしいと思ってしまう。いつかくるその時がすぐそこにある可能性を感じてしまって怖い。生きていれば何かしら変わることを知っているから怖い。
まとまらないけれど、気持ちの備忘録として残させてほしい。
この記事を見て思った。やっぱり私は真の意味での親離れができていない。