吹っ切れたと思う。 勿論、時には思い出しもする。 付き合ってた頃の笑顔がふと蘇って、ふと彼の匂いや体温を探してしまって。 でも、それでもやっと吹っ切れたと思う。 感謝してる。 人は愛した分だけ強くなるし魅力的になる。 わたしはそう思う。だから、彼には感謝してる。 わたしは前に進むよ。 あなたを心から愛して、 少しだけ魅力が増したわたしになったから。
外見に惚れたわけじゃない。 でも私は好きだった。あのかわいい笑顔を。 あの吸い込まれそうな深い笑窪を。 開いてるのか分からないほどつぶらな目を。 一緒にいると心地よかった。 彼の匂い、体温、空気すべてが心地よかった。 生きる温度が心地よかった。 もう彼以上の人には出会えないと思う。 だけどそれが嘘だって言うことを私は知っている。だってこれまでもそうだったから。そう思ってもいつの日か素敵な人に出会って、好きになってきたから。だから次もきっと同じ。 きっと素敵な出会いが
何故いけないんだろう。 好きな人に好きだと、 愛おしい人に心から愛おしいと、 会いたい時に会いたいと、 何故言ってはいけないんだろう。 連絡したい時に連絡する、 何故いけないんだろう。 あなたが愛おしくてたまらない。 あなたの心地いい声と匂いに包まれたい。 あなたの温もりを感じたい。
大人になると好きだけじゃ一緒にいられないこともある、それはどこかで聞いたことがあった。でも都市伝説のような話。お互いに好きなら一緒にいる選択をする、そう私は思っていた。 アラサーになって知った。 好きだけじゃ一緒にいられないこともある。 それは価値観の違いかもしれない、家族の問題かもしれない、タイミングなのかもしれない。 いずれにせよ、好きだけじゃ一緒にいられないこともあると知った。 とても悲しいと思う。 お互いの幸せを願って別れるなんて。 でもそれは究極の愛だ。 わ
ニート生活最終日。 残念。とても残念。生きろ。
なんと4ヶ月も開いてしまった。 「便りがないのは元気な証拠」とはよく言ったものだ。だって私はこの4ヶ月間、色々ありはしたものの元気だったのだから。 元気でいることができたのは、彼の存在がとてもとても大きいわけで。最近はずっと、 大事にしていけよ、そう言い聞かせている。 今回noteを書いた理由、それは再就職が決まったからだ。はあ、また社畜に逆戻りじゃないか。 でももしかするとそれが幸せなのかもしれない、そんな風にも思ってしまっている。 だって、ニート生活で役割がないと生き
ホームシック中な私。 ホームシックだと周囲にたくさん言っていたら、周りの人たちが助けてくれて、やっと少しずつ馴染んできた。人ってあたたかいんだな。 いつか金◯先生が1人と1人が支え合って人になるみたいなこと言っていたじゃない。あれって本当だよ。支えてくれる人がいるから私は人で居ることができる。もしもいなかったらただの一本の棒で、何も感じない孤独の中にポツンだ。実家を離れて3日目の私なんてこの先どう生きていこうかってこの世の終わりのような気がしていたよ。 ホームシック中な
実家を出て3日目。初日から感じていた感覚がだんだん大きくなってきた。これはいわゆるホームシックだ。実家が恋しい。家族に会いたい。 ノープランでとりあえず実家を出たことを後悔してももはや遅い。 お金のゆとりは心のゆとりという言葉は本当なのかもしれないと思いだす。転職先も決めずに仕事を辞めた自分に馬鹿だと声を大にしていいたい。3日目にして2キロ痩せた。それでも旅行で太った分の清算はそれでもできていないのだけれど。 くそ、こんな状況なのに笑っている自分に腹が立つ。苦しいなら苦し
私のいなくなった家で、家族はどう過ごすのかと考えるけれど、きっとそれは何も変わらない。きっと元気で今まで通り生きていくんだと思う。 家族と離れて、私はどう過ごすのかと考えるけれど、きっと忙しい日々に追われてあっという間に過ぎる。きっと楽しみながら生きていくんだと思う。 でもきっと夜になると寂しくなるし、ふとした時に思い出す。元気だろうかと心配して、心配をかけないようにどうにか取り繕う。 帰る家がある、帰る場所がある。だからきっと私は大丈夫、そう言い聞かせる。 いつか来
私は仕事を辞めた。自分の意思で。 アラサーの私は初めて実家を離れる。 だから、今日は親離れについて考えてみる。 私は親離れできていない、と思っている。 だけど表面上はできていると言えるらしい。 というのも、 親離れ・・・【子供が成長して、親の保護なしに自力で行動できるようになること】 と定義されているからだ。 それはできている。でもどうだろう? 真の意味で親離れができているのだろうか。 面白い記事に出会った。 「真の親離れができていない人は、親を1人の人間として見ること
6年働いた会社を今年度いっぱいで退職する。 会社自体に対する不満はぼちぼちあるものの、同じ部署の先輩にすごく可愛がってもらっていたと実感していて、慣れ親しんだ場所を離れることに寂しさや不安を感じている。それでも退職を決意した訳はまた気が向いた時note.に残してみる。 退職については今年度に入ってすぐに伝えていたこともあってスムーズに進んだ。ただひとつ心のシコリがあるとしたら毎年消化しきれず捨てている有給の存在だった。 はじめに上司と話をしたのは七夕の日だった。5ヶ月と
明日は仕事。寝なくちゃいけないのだけれど、ちょっと書かずには居られなかった。 今日桐灰のカイロをポケットに忍ばせながら1日を過ごした。まだ暖かいカイロを捨てるのは勿体無くて、布団の足元に入れておいた。そして今、その布団に足を入れたところ。カイロを入れておいたことなんてすっかり忘れていたから、単純に暖かくて幸せな気持ちになった。 そういや、祖母がよくやってくれていた。祖母は泊まりに行くとベッドを私に貸してくれて、自分は床に布団を引いて眠る。頭元にはいつもラジオを置いて、ラジ
さあ夜も深くなってきた、この時間が私は好きだ。きっと木の葉も眠る時間。そんな時間が私にとって大切だったりする。 夕飯を食べてお風呂に入って、なんとそんな時間から片付けをする気分になった。だから棚の中をああでもないこうでもないと片付けて、いまこの深い夜までやって来た。 エアコンで暖めた部屋、暖かいけれど少し人工的なところが残念。この静かな時間を楽しむために人工的な暖かさと別れを告げた。電気を消して、キャンドルをつけて、ルームスプレーを振ったらもう言うことなしだ。 うんうん、この
私は真面目すぎる節がある。 何故そう思うかって? それはもう、周りからそう言われるもん。 そう自覚するしかないじゃない。 私は真面目すぎるんだって。 私は私自身が真面目すぎることに対して、少しだけ、いや。まあまあイラついている。 もっと不真面目に生きればいいのにと、他人事に思って、真面目すぎる性格を馬鹿みたいだと何処かで思っている。 だけれど、不真面目になるということは何故これほどにも難しいのだろうか。 仕事となると特にその傾向が強く出る。 何でも完璧にこなさないと、
わたし、という人間はいつもそうだ。 いつも決まって物事から一歩遠ざかっている。そうして冷静なフリをする。 いつも決まって全力の一歩手前だ。失敗した時に傷つかないように。 それに、いつも決まって想いを言葉で伝えようとしない。いや、多分どこかで面倒に思っている。 それでは駄目だ。大切な人にそれでは駄目だ。 わたし、という人間を変えてしまえ。 わたしの好きな人間になってみせて。
私は諦めが早い フリをする。