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水と生きる「思想」に触れる 『柳川堀割物語』について

はじめに  タワシと洗濯板とバケツが置かれている。奥にあるのだろう木々を反射しながら画面中央まで食い込むほどに満ちる水はやや濁り、その水底へと降りていくように一筋の階段が延びている。この水は、後に明らかになるように、豊穣な実りをもたらし、ともに「はしゃぎ」喜び、時に「煩わしい付き合い」をしなければならない隣人としてそこにいる。この水の側へと、わたしたちは導かれている。  高畑勲『柳川堀割物語』(1987年、以下『柳川』)という一本の映像作品。詩人・北原白秋が育った水郷とし

    • 乗り合わせ生きる者たちの旅 『ある船頭の話』

      はじめに   切り立った岸辺の岩に座り小屋を構え、人を、物を、命を、死を、岸から岸へ渡す者がいる。カメラが彼の正面を映したのち、わたしたちは数分のあいだ彼が船に水をかけ磨く作業にしばし目を凝らしてみるのだが、彼が口を開きこちらへ親切に何かを語ることはない。だから、柄本明演じるこの者の名が「トイチ」であると知るには、壮麗な川と木々を映す映像と、遠く響く金属の衝突音やトイチを呼ぶ声にその場を譲り渡す控えめな音楽を用意するこの映画のなかで、どうやらその呼び声を、彼と共に「待つ」必要

      • 「と」の経験 トトロとひばり

         「経験」としてしか名指せない出来事がある。たぶん同世代の肌感覚とも少し違う、わたしに固有の出来事。手ざわり、におい、音の響き、それらがいずれも分かち難く結びつき、一体となって沈澱しているもの。それはいわゆる郷愁に近いものかもしれない。でもそこには、なにかに還元することが難しいからこそ「経験」と呼びたくなる領域がある。世間的にはあまり馴染みのないもの同士が固有の仕方で「結びつき」、この「結びつき」にこそ結びつけられているわたしの「経験」について、ここでは少し書いてみたい。

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