【音楽と街】母と僕と、スピッツと。
中学2年生の時、スピッツに出会った。
『ロビンソン』のイントロでガーンとなって、
そのメモリーに今も醒めないままである。
(スピッツファンなら↑これ分かってくれるよね)
今やファン歴ももう15年程になる。
そんな愛してやまないスピッツ。
たくさんの思い出をともにしてきてくれたけど、
とりわけ心に刻まれている「母と僕とスピッツ」の記憶がある。
僕の故郷は北海道のど真ん中に位置する、
美瑛という小さな町。
なだらかな丘陵地帯と、延々と広がる田畑の風景が美しく、観光地としてそこそこ有名だった。
そんな風景の中で、僕はスピッツを聴きながら10代を過ごしていた。
中学3年の夏頃。
ある日、僕は母が運転する車の後部座席に乗っていた。
うちは兄妹が多く、出掛ける時はいつも誰かと一緒だったので、母と二人きりになることは珍しかった。
この日、なぜ車に乗っていたのが僕だけだったのか、もう忘れてしまった。
時刻は夕方頃で、隣町の旭川から美瑛へ戻る道中だった。どこからの帰り道なのかももう覚えていないが、車の窓の外から見てた、夕暮れに染まる田畑のゆるやかな風景だけ、やけに覚えている。
思春期ということもあって僕は口数が少なく、母もそんな僕に特に話しかけることもなく、車内は静かだった。FMラジオと車のエンジン音だけが、静寂の中を流れていた。
不意に、ラジオからスピッツの『あじさい通り』という曲が流れてきた。
「あ」と僕。
「スピッツだ…!」
ずっと無口だった僕が突然やや興奮気味に口を開くのを見て、母は「あらっそうなの」とどこか嬉しそうに返してくれた。
なんだか恥ずかしくなった僕は、再び黙って、ラジオから流れるスピッツに耳を傾けた。
シンセサイザーのレトロな音色と、独特のリズムで進むイントロが印象的な、当時からお気に入りの一曲だった。
あじさいの咲き並ぶ道の情景を想起させる雨の歌を、梅雨のない北海道の乾いた大地で聞く。
そんなミスマッチなシチュエーションの中、母がぽつり、「いい歌ね」と言った。
僕は「うん」とだけ返事をして、
そしてまた黙って窓の外の夕暮れを見つめた。
それから10年の時が経った。
僕は関西の大学を卒業した後、再び北海道の実家に帰ってきた。
アルバイトをする傍らで教習所に通い、車の免許を取った。
早速、実家の車で近所のコンビニやスーパーや本屋に行き、運転に慣れていった。
ただ、美瑛は超が付くほどの田舎で、車も人も全然通らない上に、道幅が広々としていて運転しやすかったので、慣れるもくそもないのだけど。
ある日、ちょっとコンビニ行ってくる、と出掛けようとした僕に、母が「私も銀行行きたいから乗せてって」と声をかけた。
母と車に乗り込み、当たり前のように僕が運転席、母が助手席に座った。
思春期の頃とは違い、饒舌に喋りながら運転をする僕の横で、母はどこか緊張した様子だった。
交差点に差し掛かる度に「左右よく見てよ」とか、
黄色信号が見えれば「黄色、黄色、赤…!」
と、声を上げる。
母は、息子の運転をハラハラドキドキの胸中で見ていたのだ。
そんな心配性の母に「いつも運転してるし大丈夫やって〜」と笑いながら運転する僕。
窓の外に、夏の太陽と、美瑛の田舎の町並みが流れていく。
その瞬間、はっとした。
そうか、僕は今、初めて母を乗せて運転しているのか…。
いつか来ると思っていた日が、こんなにさりげないタイミングで訪れるとは。
僕は不意に、あの日母が「いい歌ね」と呟いた『あじさい通り』を思い出した。
今まで散々聞いてきたはずなのに、
思い出の中のそのメロディは、なぜかあまりにもノスタルジックな響きだった。
子どもの頃、僕は「自分の運転する車に親を乗せる」ことができたら、大人だと思っていた。
結婚や仕事や子どもなど、大人の条件と思われるものはいろいろあるが、それもまた大人の条件のような気がしていたし、その日が来るのを楽しみに待っていた。
しかし、あの日車に乗っていたのは
紛れもなく、母と子だった。
母の横で、僕はただ、子どもだった。
その事実を思い知った時に覚えた感情は、今でも何と言って表せばいいのかわからずにいる。
あじさい通りのない快晴の道を、
親子を乗せた車が走っていく。
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