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ぼくにとって写真を撮るということ
散歩しながらよくiPhoneで写真を撮っています。
なにか気になるから撮るわけですが、あとで見返すと、特定のカテゴリーのものをたくさん撮っている傾向に気づきます。その選択には自分の美意識に関する秘密が隠されているのでしょうか?最近明らかによく撮ってるのは、雲、飛行機、木、電線、鳥、食べ物。これらは日常にあって惹かれるものたちです。
ある日、メタセコイアの木と実を見ていて、ふと撮りたいと思いました。同じ木でも、その部分や見る方向によって表情がさまざまに変わります。撮ろうとするとき、どこをどの方向からどれくらいの距離から撮れば一番自分の美意識を刺激するのか?そんな自分自身との対話的な試行錯誤を強烈に意識させられます。あ、写真ってただ撮るだけじゃないじゃん、と。結局その時は、いいアングルが見つからなかったので1枚も撮りませんでした。でも写真は撮ってないけどメタセコイアの良さは頭の中に入れて持ち帰ることになります。
飛行機とか鳥とかは、iPhoneのカメラアプリを準備してる間に動くし視界から消えてしまったりするので、どう撮ろうかなんてゆっくり考えている余裕はありません。それはそれで偶然との戦いがおもしろいです。「さっきいい感じだったのになぁ」とか「あわてて撮ったけどなかなかいいな」みたいに。仮に撮らなかったとしても、めっちゃ目で追ってます。
ということは、撮るという経験は、机の上のガラクタや雨の日の街並みといった、日常の見え方を変える可能性を秘めてますね。そんなことを考えながら今日も電線を撮りました。
表紙画像は大好きな山手らーめんです。
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