東京マラソン2024参加記
17回目にして、東京マラソンに当選。完走してきた。
フルマラソンは3回目。調べると、前回、前々回はどちらも2016年だったらしい。あの頃は、まだ30代中頃で若かった。今のように日常的にランニングなどしていなかったが、ふと「フルマラソン出たことねぇなぁ」などと思いつきで参加したのだろう。しかも初参加は「掛川・新茶マラソン」だった。何かしらの事情によって現在中止されているこのマラソンは、アップダウンが激しく、日本屈指の過酷なコースと言われる。覚えている。確か前半に急な下り坂があって調子乗ってスピード出して駆け下りたことや、後半、へとへとになったところで、長い登り坂が現れ、打ちのめされたこと。ハーフ2時間くらいのペースだったので、あ〜このまま行けば4時間くらいでゴールかなぁと無邪気に考えていたが、間違いなく息が切れていたし、ハーフの時点で体力は半分も残っていなかった。その状況がフルマラソン失敗パターンなのは、今ならはっきりわかるが「エネルギー0になってからは、根性でしぼり出した体力て限界を超えられるんでしょ」と脳天気に見込んでいた。経験がないのって怖い。結局最後10キロほど、痛みに耐えながら棒になった脚を少しずつ動かし、5時間半でゴールした。同じ2016年に、もう1度フルマラソンを走ったのは、1度目はたまたま調子が悪かったに違いないと、信じたかったのだろう。「掛川・新茶マラソン」よりはるかに平坦なコースだったが、それ以上に時間がかかってゴールした。
東京マラソン2024エントリーの抽選結果発表は、9月25日。17年目にしての貴重な当選だったこともあり、しかも最近は以前と違って普段から趣味で走っていることもあり、本番まで5ヶ月走るぞーと気持ちが盛り上がった。早速onの新しいシューズを2足買ったが、こんな時に限って体の不調が続き、思い通りに走れなくなってしまった。10月前半、耐えられないほどの歯の激痛に襲われた。歯茎の膿が原因で、急患で歯医者に行ってから、しばらく歯に穴が空いたまま治療をしていた。抗生物質や痛み止めも飲んだりしていて、そのような状況で走る気力は湧かず、ようやくランニングを再開したのは歯の状態が安定してきた12月、歯茎の膿が完全に止まり、ちゃんと詰めたのは、年が明けてからだった。他にも、ランニング再開早々、風邪をひいて熱を出したり、2024年になってからも謎の肋骨痛に悩まされたりした。当選した時は東京マラソンに向けて少しずつ距離を伸ばしていこう、体重も数kg落とそうと、頭の中で計画していたのに、とにかく、フルマラソンに出る予定にも関わらず、本番までの期間満足に走れなかった。体重を測るのが怖くて、ずっと体重計を避けていたが、マラソン後に測ったところ3kg以上増えていたことがわかった。やはり。「思い通りにいかないものだな」と思ったが、1ヶ月くらい前からようやく、いろいろな不調が治ったと感じられた。当たり前だが、当日に体調を崩して欠席というのが最悪パターン。練習不足以外は気がかりなく参加することができたのは喜ばしい。
地方から上京する人は大変だ。東京マラソンは、アスリートビブスが家に郵送されず、2/29(木)から前日3/2(土)までに東京ビッグサイトで行われるランナー受付にて、メールで案内された引換証を見せてビブスを受け取らなければならない。平日は仕事があるので基本前日行くことになり、僕は地下鉄の階段をスーツケースを持ち上げて上り下りしたり、歩き回って疲れた。マラソン当日も、朝現地に向かうとき「脚に昨日の疲れ残ってんじゃん」と思って焦った。しかし、ランナー受付ではシューズなどのマラソンのアイテムが売られていたり、心構えのセミナーが開かれていたり、盛り上がりを感じられたのは良かった。
前日の夜は、当日悩まないレベルまで持ち物を整理し、遅刻せず、かつ十分な睡眠時間を確保するべく、いろいろ逆算して行動する必要があって、なかなかの戦いだった。9時10分スタートなので、7時台に現地に着く必要があって、そのために6時過ぎに起きて、マラソンのエネルギーになるはずのクロワッサンとスコーンを買っておいて、いくつか食べて、ホテルのコーヒーを飲んで、といった具合に。案内のpdfも複雑で読むのが大変だった。4万人近く参加するだけあって、いろいろな仕組みでシステマチックに運用されることが説明されている。スタートは、おそらく事前に申告した目標タイムによって、5つのゲートと複数のブロックに振り分けられている。ゴール後の更衣室も当然グループ分けされていて、スタート前に指定されたトラックに手荷物を預けておくと、自分のゴール後の行き先まで運んでくれる。まあ、スタッフの方々がアスリートビブスを見て案内してくれるので、自分の頭だけで行動しなければならないわけではないけれど。
スタートの新宿まで電車を乗り継いで30分程度のところに宿泊していたが、ホテルを出て駅に向かっていると「この人ランナーだよね」って見た目の人が目に入った。僕は手荷物に着替えを全部突っ込んで普段着で歩いていたので、ちょっと驚いた。地下鉄に乗っていると、1人、2人とランナーであることが明らかな人が乗り込んできた。脚が丸出しの短パンにランニングシューズで、上着だけ羽織ってるみたいな人たちだ。寒そー、と思ったが、この人たち慣れてそー、と、なんか負けた気がした。自分は手際良く着替えられるのか?と軽い不安も覚えた。そして新宿に到着し、案内に従って、指定されたゲートへ向かう。周囲はもうランナーだらけ。いつの間にか集団が密集しての大移動になり、ゲートまでまだ距離があるのに、スムーズに進まなくなった。ここに来て、非日常感、お祭り感の高まりを感じた。
スタート前、トイレに行きたくなり、仮設トイレに並んでいたのだが、これが目測150mもの列になっていてなかなか進まず、トイレに並んだまま9時10分の競技開始の合図を聞いた。ちょっと脇道に逸れるが、これだけ大人数で水洗でないトイレを使っていれば、臭いのではないか?と思っていたのだが、意外にも臭くない。仮設トイレは東京マラソンの陰の立役者の1つだろう。トイレを済ませてからスタートゲートへ向かう列に加わり、スタートラインを通過したのは、競技開始から30分も過ぎた9時40分頃。マラソンスタート!
今回、5時間を切ることができた。東京マラソンは楽なコースと思われるが、8年前の無謀なフルマラソンより速く、初めて5時間を切れたのは、なんだかんだうれしい。5キロごとのラップタイムは以下のような感じ。10-15kmのラップタイムが長いのは、ここでまたトイレに行ったため。人が並んでないところでトイレに行こうと思って探していて、見つけたのでここでトイレに行ったのだが、3階くらい下らなければならない地下鉄のトイレだった!まだ疲れてなかったけど、フルマラソンの途中で3階上り下り。30kmを過ぎたあたりから、徐々にペースダウンしていることがわかる。マラソンは最後の10キロがキツい。太ももの内側がいつ攣ってもおかしくないような状況では「あと10キロならいつも走ってる距離じゃないか、いつもといっしょ」などと、思いたくても思えない。実際何度も脚が止まって歩いたが、8年前と違うのは、しばらく歩いたら脚が回復したのを感じて再度走り出せたこと。これは日常的に走るようになった結果、多少足腰が強くなったのかもしれない。35kmあたりの給食で人形焼を食べたんだけど、口の中の水分がなくなってパッサパサやぞ。おいしかったです。フルマラソンの後半って驚くほど食べ物を飲み込む力が失われている。この感覚、忘れてたけど8年前も確かにあったわ。給食のカロリーメイトゼリーはありがたかった。
40km過ぎは脚の疲労と痛みがピークだが、今回は歩かずに走りながらゴールしたい欲望が強く、走り続けた。僕は目標タイムが遅く、後方からのスタートで、多くの区間は他の人を抜いていく感じで走っていたのに、この最後の区間で周りの人たちがラストスパートしていて、どんどん抜かれたのは印象に残った。みんな体力残ってるのかよ!42.195kmを、最後までペースを落とさずに走り続けられるようになりたいな。そういう競技だと思うと、今後の楽しみがある。というのも、8年前は無謀すぎてハーフの時点で半分以上体力を消耗していた。今回は、ハーフの時点で65%くらいは体力が残っているように感じられた。ハーフの時点で8割の体力を温存するような走り方ができるようになりたい。それができるようになれば、最後まで同じペースで走れるのではないか?普段何気無く走っていたランニングは実は、距離が短いのをいいことに飛ばしすぎてたのかも知れないとか、思うところがある。
ゴールしてメダルなど渡され、メダルがあるとは知らなかったのでうれしい。防寒のランナーローブも受け取り、これもなかなかかっこいい。ゴール後、自分の手荷物が運ばれている指定の更衣室まで歩いて移動するが、これが遠くてなかなか大変。走り続けてたから走れてただけで、ゴールして一度止まってしまうと、脚が固まってしまって痛みが増す。今すぐ座り込みたいが、大手町のオフィス街でそんなわけにもいかず、ようやくゴールしたのになかなか座れない。更衣室に到着し、空きスペースを見つけて、6時間以上ぶりについにフロアに腰を下ろす!一気に脚がリラックスしてホッとした。
フルマラソン後、ビールがうまいのではないか?この疑問を確かめるべく、ホテルに帰ってビールを1口飲んでみたのだが、うまいと感じなかった。特に終盤の給水所や、ゴール後に、水分を摂り過ぎているからなのか、うまいに違いないと期待しすぎなのか。そうでもないのね。フルマラソン後、ビールがうまいと言ってる人って余裕がある人たちなのかもなぁ。
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