守を終えクリスタライズ
親子で剣道をやっていたこともあり、父はふだんの会話で物の例えに「守破離」をよく引用していた。その影響で俺も守破離と書かれた手拭いを稽古で愛用していた。
「守破離」
30歳を目前にした今、守の季節が終わった。
長いこと抱えていた悩みに、人・本・経験が数珠繋ぎとなって急速に腹落ちし、その悩みが大切な無形資産となったり、同じ円周上を生きる人たちから伝播されたポジを自分も引き継ぎ息をして歩いてくれる感覚を覚えるようになった。
フローに似たこの状態をうまく言語化できずにいたが、たまたま手に取った本が遂に解へ導いてくれた。
そうだ、俺はずっとこう言いたかったんだ。
久々に本を読んで涙が出た。
役に立つか立たないかの物差しを置いて気になったことを試し続けていた過去の自分からのプレゼントだと思えた。
水の合わない場所で本腰になれず、「なんで自分は働くんだろう」とコメダ珈琲でずっと考えていた日々。無限幹事と良いように使われ、時には会費を回収しきれなかった飲み会。本決算の最中AM3時まで中洲の寿司ざんまいに監禁されたあの日。コロナ禍と自分の中途半端な生き方に板挟まれ頭の中がハウリングしていた2020年。
書いたらキリのない、役に立たない、無意味、思い出したくない経験ですらも、蓄えた知識と結合して新たな人格が生まれ、守が固まり、これから破に突入するんだとようやく真に腹落ちした。
この先、破を極める過程で、これまで以上の苦痛や、守で築いたものを一瞬で喪失させるトラブルが起きること、何かを学ぶたびに何かが分からなくなる瞬間が必ず訪れる。
それでも、解決策を併せ持つ今はこれから先の未来に期待しかない。
平時からそう思えるようになったことこそ、俺の守だ。
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