8.32*光へ
これは誰かの話で、僕たちの話。
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僕がカラーコーンを蹴っ飛ばそうと試みると、スリッパが放物線を描いて明後日に飛んだ。その赤い三角標を僕の足はすり抜け、挙句の果てに履いていた一回りも二回りも大きなスリッパは陽炎に溺れた。それを見てか、蝉は前よりも強く鳴き始める。呼応するかのように僕を囲う乱立した物体にしがみついて鳴く蝉はまるでシューゲイザーのようだ。
夏。
昼下がりの冷房の聞いた部屋で、3DSのニコニコ動画から流れる『フロントメモリー』と母が残してくれたチューペットの味。予定のないカレンダーに書き加えるかのように、夢物語を綴った夏休み最終日までの日記。読書感想文なんて手につかなくて、朝読書の時にパラパラと読んだあさのあつこの本を読んでみたけど、努力から生まれる汗を僕は知らなかった。
窓際に吊るしてあるイルカの風鈴は夏をさらに加速させる。くすんだ青色の体に斜陽が流れ込み、生まれた光は仰向けになった私に落ちる。兄の部屋から持ってきた『グミチョコレートパイン』は冒頭で断念し、父の部屋にあった『Oasis』のアルバムは再生の仕方が分からなかった。僕はニコニコ動画で流れてくる「ロックンロール」っていうやつが分からない。それを知ってしまうと戻れなくなる気がするのだ。
遠くから太鼓の音と子供の掛け声が近付いてきた。今日は七夕だった。近所の公民館で小さなお祭りがあるのだろう。きっとあの中に僕をいじめている井上と浅井もいる。そう思うとあの甲高い声が頭の中に流れ込んできた。
助けて。
この汗はきっと、小説に書いてあるあんなに綺麗なものじゃない。息をする度、体の中に大きな重みを感じる。漠然とした未来への不安とか忘れていたものが僕を追い越していく。
誰も開けてくれない部屋の扉が澱んでみえる。
死ぬことなんてできないのに期待的な死が目の前でゆらゆらと浮かんでいる。
ア
ア
消えてしまいそうだ。
もう。
誰もこの気持ちを分かってくれない。
誰の言葉もただの説教で、自分を守るために部屋から出ることが嫌だった。
× × ×
そのピアノの音は僕の心にすんなりと沈んだ。
ニコニコ動画の連続再生は知らない曲を流す。綺麗すぎる夕焼けみたいな音はあの太鼓の音なんかよりも大きく聞こえる。
その後の衝撃。終わらない夏休みを切り裂くようなドラムの音で僕の背中に力が入る。
自然と僕は3DSの音量をあげていた。
それは僕が初めて触れた「ロックンロール」だった。けたたましいくらいの音と率直な言葉、少年のような声は、僕の心をこの世界から切り離しにきた。
――遠くにいる君めがけて吐き出すんだ。遠くで近くですぐ傍で叫んでやる。
この人は僕の代わりに叫んでるの?
これは僕?
そんな中、アイスを片手に兄が部屋を開けて入ってきた。僕の顔を見るやいなや、自分の部屋に戻ると、一本のギターとアンプを持ってきた。
何も言わずそれを繋ぎ、僕に持たせた。
初めて持つ歪な形のそれを、僕は期待と嫉妬と殺意と後悔と全部、全部の心の全部を込めて見よう見まねでかき鳴らした。
アンプを点にして近所に響いた轟音は僕の世界の終わりを告げた。戻れない世界の始まりだった。
僕はその時、笑っていたと思う。
笑いながら泣いていた。
きっとこれからも僕はひとりぼっちだ。
学校に行けば靴はないし、人間よりも机の木目を数えるだろう。それでもイヤホンを繋げば僕の世界。
ずっとずっとどこかでひとり。
だけど、きっとこれからも。
ずっと。
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夏。
私にとっては出会いの季節。
やるせない日々。
相対性理論みたいな木々とガソリンみたいな色した夕焼け。
焦燥感と嫉妬、NHKの受信料、海賊版のアニメサイト、動作の遅いウォークマン。
近所の駄菓子が主食で、リストカットすることなんて出来なくて精神自殺を繰り返す日常。
そんな時に夏。
ロックンロールという未知との遭遇。
インターネットとアウトロの『8』による羅列。
浅野いにお、押見修造。
下北沢。
・
永遠に生きられるだろうか。
それが出来るなら、私は生きたい。
他に何もいらないから参加賞が欲しい。
君が願ったように、ずっと忘れないからさ、
永遠の七夕に溺れた君にも出会えるかな。
毎日は手作りだけど、
私はやっぱりこの季節に期待してしまう。
終わらない夏休みのその先にある光に
こんな文章を読んでくれてありがとう。
また明日もこの世界で生きていこう。
黎
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