あの時、赤信号を渡れなかったきみへ
父親が生前遺した唯一の図書カードで彼女への誕生日プレゼントとして本を買うために隣町の本屋に向かっていた時のことだ。原付で小さな交差点の赤信号に止まった時にふと、彼のことを思い出した。泣きながらも、漠然とした未来に走って、赤信号を越えれなかった君のこと。
たとえば緩い幸せがだらっと続いたとする、の緩い幸せの部分を感じることが出来ている日常を送っている私は初めて彼に共感することが出来た。
私は最近、人生のこれでいいという基準が出来てしまった。これでいいというには最低基準の幸せのことである。この日常が、朝食にプリンが付いてくるような、割り箸が上手に割れる食卓のような、だらっとした何気ない幸せがずっと続けばいいななんて。何者かになりたい、誰かの記憶に残りたいと必死に足掻いてもがいて、色々なものを削って失っての生活の中に咲いた小さな幸せに私の足は止まってしまった。これでいい、この日常があれば他の何も要らないという人生においての最低基準が出来てしまったら私を動かしていた希死念慮だったり青春コンプレックスが徐々に徐々に失っていってしまう。人間強度が下がっていくのだ。
彼は音楽の才能がないと自分のことを評価しながらもギターを手放せずにいた。きっと彼も同じような幸せの中で未来について悩んで居たのだろう。今自分の前にも茫漠とした未来が、現実が横たわっている。周りが一歩ずつ進んで着実と進んでいく中で、自分は泡の上をスキップしようとしているのだ。自分は他の人とは違うと高校時代から拗らせ続けた自尊心が今になっても私を孤独にさせる。
それでも確実な結末として彼は走ったのだ。周りに何を言われるかとか、誰に怒られるだとか、そんなことを考える間もなく、ただ赤信号を越えた先にある彼女と未来、仲間と音楽をする未来のために走ったのだろう。
私は、交差点で立ち止まった。
なんだかんだで私に手放せるものは少ない。手の中にあるものだって少ないが、私はずっと幸せなのだ。大森靖子に、の子に、峯田和伸に、出会わなかった私は本当に幸せだったのだろうか。リリイ・シュシュのすべてで精神自殺して、ニコニコ動画に自分は違うんだと書き込んで、みんなに笑われるし、ここまで書いても私のことなんて本当は誰も興味が無いんだけれど、毎日健康に生きて行けたらいいなって思います。
六畳半、君が書いた歌が響く。
寒い冬の冷えた缶コーヒー、虹色の長いマフラー、ファミマのおでんコーナー、朝の散歩とカネコアヤノ。そういった幸せを噛み締めながら生きていこうと思った交差点、彼女の誕生日でした。
君の名前は種田成男。
君が遺した曲は芽衣子の心を、毎日生きるしかない私たちの心に間違いなく届いているよ。
青猫
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